義父


三十歳代から小学校の校長を務め知的で温厚な義父も寄る年波には勝てず、寝たきりになってしまいました。それから3年ほど、今のような介護保険もなく食事、排泄、体調管理と24時間息を抜く暇もない日々。
夜中に異変があってはと私は睡眠障害を起こし、医者の手を借りることもありました。でも、縁あって家族になった義父、私に出来ることは介護に励みました。
そんな義父もだんだん体力が落ち認知症も出ましたが、いつも穏やかでした。
校長時代の父兄が、何十年経った後までたびたび見舞いに来てくれた義父の人柄を知るよすがとなりました。学生時代ボート部だった体の大きな義父、おむつ替えも大変。
義父が亡くなって二十年ほどは 夢の中でおむつ替えに四苦八苦して飛び起きることもしばしばでした。辛い辛い日々でし たが、周りの人は、「こんなに徳を積んでいたらきっと後でいいことがあるよ」と励ましてくれました。
たまに義父の娘たちがきて「誰だか分かる?と言うと「佳江、佳江」と嫁の私の名を呼び、義妹たちをがっかりさせました。
最後の日、布団から起こしてくれと…私は義父の頭を5センチほど上げました。とほぼ同時に息が無くなり浄土へ旅立たれました。
私はおじいちゃんのお髭を刺り湯灌をし、きれいなお顔に長かった日々に別れを告げました。義を全うした遠い日々辛く も充実した日々でした 。
今八十七才の私、どこと言って悪いところはなく元気で自立していられるのはきっと天国で義父母実父母が守ってくれているからだと思います。
義父の死後、夫の姉妹は全員相続放棄して夫と私の労をねぎらってくれました。

 


(兵庫県・K.N/女性)