「身体が不自由になっても」


訪問介護のホームヘルパーとして大介さんの家にお邪魔したのは、もうだいぶ前の話だ。大介さんは一人暮らしの高齢男性で、脳梗塞により、右半身が麻痺していた。
器用に左手で食事をして、左手で歯を磨く大介さんだったが、一番困っていたのは字を書くことだった、さすがに、右利きの大介さんに、左手で字を書くことは難しかった。
ある日、私は大介さんに、代筆を頼まれた。学生時代の友人に、ハガキを書いていて欲しいというのだ。
「今から言う通りに書いてくれ」
大介さんはそう言うので、私は従った。
〈元気か?俺は学生時代と変わらず、ピンピンしてるよ。また一緒に麻雀したり、旅行しような〉
−これが大介さんの文面だった。正直、こんなウソッカいてもいいのかなあと思った。
学生時代と同じようにピンピンしているというのはウソである。大介さんはもう二足歩行もできず、車椅子に乗っており、右腕も右脚も思うように動かない。仮に学生時代の友人に再会しても、旅行も麻雀もできないだろう。
私は思わず言ってしまった。
「こんなウソ書いてもいいんですか?」
「いいんだ」
「正直、病気で右半身が麻痺していて、買い物やお風呂に不便を感じていることを伝えた方がいいんじゃないんですか?」
すると、大介さんは真面目な顔をして言った。
「戦後間もない苦しい時代に、一緒に勉強した仲間だ。正直に今の状況を書いたら、なんとかして助けに来ようとするだろう。僕は友達に迷惑や負担をかけたくないんだ」
私も大学に通ったが、大介さんの時代は違い、モノが溢れていて、食べるものに全く困らない時代だった。私と大介さんは、友人を思う気持ちの度合いが違っていた。大介さんは、友人を大切にしたいと思っており、だからこそ、「ウソ」を書いて、心配をかけまいとしたのであった。
大介さんが書いた手紙が「ウソ」ではなく「配慮」であり、「友人想いの手紙」だった。
大変な苦労をしたであろう。戦後間もない時代を一緒に生き抜いた学生時代の友人に、大介さんは絶対に心配をかけたくないと思っていた。
介護が必要な高齢者と言っても、実に色んな人がいる。実に色んな人がいる。積極的に助けを求める人もいれば、大介さんのように迷惑をかけまいと、苦労を自分の中に仕舞い込むひともいる、どれが正解のか私には分からない。多分、正解はないだろう。だが、大介さんが心温かい人であることは分かった
身体が不自由になっても、友達を大切に思う、大介さんに、大切なことを教わったような気がした。


(東京都・K.D/40代・男性)