介護のイメージを変えてくれた父へ


「病人様」父は自分をそう呼び、我儘ないばりんぼうだ。先に倒れた父は「病人様」となり、倒れはぐった母は、召使いとなってしまった。「こっちが病気になっちゃうよ!」と深くため息をつく母。高齢者同士の老老介護の、これがリアルな現実だ。
父は、末期癌と言われ、本人も、家族も「余命は月単位です」と宣告された。 1カ月入院した父が、自宅に戻って来たその日から、私たちの「初めての介護」は始まった。右も左もさっぱりわからず、そりゃあもう家族全員ドタバタ。「そっかまず介護申請するのか」。ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、手すりをつけたり、介護ベッド借りたり。「ヒェーこんなに色々あるの?」次々の打ち合わせや、契約、書類の山で、もう高齢の母は大パニックだ。初めての介護食、大人用オムツ、便秘、腰痛、頻尿。いっぱいいっぱいの私たちに追い討ちをかけるような、父の頻尿。まるで「トイレに行く事」が仕事みたいで、しかも困った事に、何故か夜になると、それは30分ごとになる。トイレの付き添いに、母はすっかり疲弊し、夜は私が付き添うことにした。 危なっかしい起き方、トイレまでは山登りみたいで一歩が長い。便座に座る時、ベッドに戻るとき、慎重に膝をガクガクしながら座る。まるで命がけのトイレ。かなり体力も消耗するはずなのに、父は自分で行きたかった!どうしても、自力で行きたかった。力を振り絞る姿は、時に煌々しくさえ思えた。真夜中に、そんな父の後姿を私は何度も見た。「諦めない姿」。なんと、父は自分のトイレの時間を全て記憶していた。そして、「ここに掴める物があれば、1人で行けるかもしれないな」とか、ぶつぶつ独り言を呟いていた。病気になって出来ないことだらけなのに、1人で出来る事を常に探している。 「トイレはまだ俺は1人で行けるんだ!」頑固に威張って、ホント嫌になっちゃうけれど、カッコいい。排泄という最後のお仕事で、私たちに生き様を見せつけているかのようだ。
そんな父の姿は、私達の「介護」に対するイメージを変えてくれた。かつての私達は何も知らずその凝り固まった偏見から「介護って大変そう」「下のお世話なんて無理」「個々の生活が成り立たなくなっちゃうよ!」と言って、出来れば関わりたくなかった。でも、やってみたら「介護って辛さより、喜びや感動の方が案外多い!」と気づくことが出来た。父の「自分でやる!諦めない姿!」にも私たちは逆にパワーをもらう。何より、疎遠だった一族が集まったり協力し、話し合い、父を囲んで笑顔が増えた。 介護の輪が、日進月歩大きく成長している事も知り、私たちの不安はいつの間にか安心に変わっていた。全てを家族だけでなんとかしなくても、沢山の支援や介護の温かい手も借りて、今は、父を穏やかに見守っている!
だから「おとうちゃん、まだまだ元気を続けよう。そして、1人で出来る事、また一緒に探そうね。」


(兵庫県・T.S/男性)