父へ心から感謝


姉二人で長男の私は末っ子として育った。今でいう団塊の時代です。少年時代は父ともキャッチボールをした思い出などもあるものの、中学以降、思春期を迎えてから日常、父と話すことはめっきり減ってしまった。父は長年、胃を患っていた。お酒は飲まないものの、甘いものとタバコは手から離せなかった。そして父は子育ては母に任せきりで、口を出すことはなかった。職場の人と山登りに出かけたり、切手などの収集、晩年は国内旅行などそれなりに楽しんでいたが、旅行に母を連れて行くことは殆どなく、母も不満を感じていたようだ。私が食べ盛りの時でも、父は胃が悪いせいか、母がおかずを工夫することなどを嫌がった。油っこいものの臭いも嫌だったようだ。そうしたなか、私は父と疎遠になってしまった。父との会話は殆どなく、それが当たり前になっていたが、心の中では不自然さを感じていた。二人の姉は嫁に行き、私も実家の近くに自分の家を持つことになった。父は口では何も言わなかったが、そのことも何故か不満だったようだ。父が晩年になり、母は認知症となり、子供達への介護負担が増えた。私は全面的に母の介護を日常的に行った。父には嫁に行った二人の姉が交互に夕食作りに来ていた。そして出来ることは自分でしていた父も90を前に足の筋力が弱まったりして杖歩行になり、姉も介護サービスを利用した方が良いとのことで、以降、姉達はあまり家に来ることはなくなってしまった。私はその前から二人の親の世話で同居していた。父が肺がんで入院し、医者から入院を続けた方が良いのではといわれたが、父は家に帰ることを選んだ。当然、私の負担は大きかったがそれほど気にならなかった。それまであまり父の世話は出来なかったので、その分も含めて出来ることはしたいという気持ちが強かった。父は私にすまないという気持ちがあったようで、そのことを介護していた人から聞いた。私はいつしか父と心が通じていることを実感した。亡くなる時、看護師や介護の人がいるなか、私は声を出して少しの間、泣いてしまった。父の存在の大きさをしり、やっと話が出来るようになった父に心から感謝しました。


(群馬県・M.N/男性)