両親の生き方に感謝


私は大阪府堺市に暮らす年老いた両親と離れて神戸で妻と暮らし、2人の子供は既に家を出て家庭を持っています。 実家の92歳の父は痴呆症気味でほぼ車椅子生活です。要介護4と認定され、ショートステイや介護者、病院の支援を受けています。
82歳の母も要支援2の認定を受け、ヘルパーの支援を受けて生活しています。独身の弟が働きながらそれとなく見守っていますが、父の介護はもっぱら母とヘルパーさんが行います。私達兄弟は父のオムツの交換をしたこともありません。時々、風呂に入れ車椅子に乗せて散歩に連れて行きます。

父の症状が進むにつれて粗相の回数が増え、独特の匂いが家に漂うようになり、母の負担は極端に増えました。時を同じくして、母から「もうシンドウて、シンドウて」とか「倒れそう。もう限界かな、この生活に疲れた」との声が聞こえる回数が増えて、その度に弟に呼び出され2、3日実家に滞在し「お兄ちゃんは優雅な生活ですな」と嫌味を言われました。
その度に母は「兄弟喧嘩は嫌やからやめて、仲良うしてや」と仲裁してくれました。滞在中は日頃の罪滅ぼしも兼ねて母の愚痴を聞くことに徹しました。「お前に話し聞いてもらうと気持ちが落ち着いた。ありがとうな。ほんまにすまんな」と言いながら話の終わりには優しい笑顔が返ってきました。
それでも翌日、弟からは「兄ちゃんは気楽でいいね。代わって欲しいわ…ほんまに」と言われても返す言葉が有りませんでした。家族のリズムが崩れ険悪な空気が漂いました。

こんなことが数回あり、母が介護の限界を越え腰痛で背中が真っ直ぐにならなくなったのを機に父は介護施設に入りました。母は最初、施設に入れたことを嘆き「やっぱり連れて帰ろうかな」と私に愚痴を言っていましたが、父が施設に馴染み職員に大事にされる様子を見て、母も「勇、お父さん施設に入れて本当に良かった」と言うようになり笑顔が戻りました。弟も「お母ちゃん元気になって良かった。お兄ちゃんのお蔭や」と言ってくれ家族関係も少しだけ改善しました。
私達兄弟は母が心身の平安を取り戻した事に安心しましたが、痴呆症が出て意思疎通が難しい父が「家に帰りたい」、「点滴外して下さい」、「ご飯いりません」と駄々をこねる様になり施設にこれからも馴染むことが出来るか、金銭的な負担はないか心配しました。

しかし、介護コーディネーターさんのアドバイスを受けながら、子供に負担をかける事無く、年金収入の範囲で生活しています。そんな両親の暮らしぶりを見ていると、日本の福祉政策の充実を実感できます。また今から思うと両親は日頃から贅沢もせずに貯蓄に励み、老後に備えていました。
今はもう私が「お父さん何かして欲しいことないんか」と聞いても返事はなく時々、思い出したように「お客さんに…明日行きますと言うといて…お願いします」と聞き覚えのある私と良く似た声が出ます。
父は小さな体を気力で補い、ささやかですが社会に貢献しました。私もこうした生き方を見習わなければならないと思っています。


(兵庫県・I.T/男性)