家族


結婚して二十年も経つと、知らない間に夫婦の会話は少なくなり、そのうち会話らしい会話もしなくなる。私達も、いつしかそんな夫婦生活を送っていた。

ところがある日、突然のアクシデントに襲われる。妻が事故に遭い、足と腰を骨折し、手術、入院することになってしまった。もちろん結婚して初めてのことである。手術は長時間に及び、私はずっと付き添った。ようやく無事に終えると、医者からは「しばらく会話はできませんから」と言われる。それでも私はベッドの横で、妻が目を開けてくれるのをじっと待った。そして何時間かが経った時、彼女はようやく、ゆっくりと目を開けた。私の顔を確認すると、安心したかのように微笑んでくれたが、やはり言葉を発することができない。なんとか気持ちを伝えようと口を動かしている妻の姿を見て、近くにいた看護師が「これを使って会話してください」と、五十音の文字が書かれた紙を渡してくれた。妻はその紙に書かれた文字を一つずつ指差し、気持ちを伝えてくる。「疲れたでしょう」「もう帰っていいよ」。私は「そんなことないよ」「大丈夫だから」と返す。他愛のないことだが、こんな会話すら何年も交わしていなかった気がする。妻の優しい笑顔や、そんな言葉に対して、日頃彼女に感謝する気持ちを忘れていたことに気づいた私は、それから毎日、病院に通うことにした。妻は「毎日じゃなくていいよ」と言ってくれたが、それでもから通うことをやめなかった。

一方でこのような事態となると、家事は当然、私がやらなければならない。私には息子と娘が一人ずついるが、問題は娘である。兄である息子は大学生となっているものの、娘には生まれつきの発達障害があり、今も言葉を発することができない。特別支援学校を卒業し、今は近所の施設に通っているが、今までずっと妻の手で育てられてきた。そんな娘が母親不在となり、果たして平常心でいられるだろうか、ご飯もちゃんと食べてくれるだろうか、私はそれが心配だった。何しろ生まれてから母親がいなかった日は一度もないのである。しかしそんな気持ちを知ってか知らずか、娘は今までと変わりなく過ごしてくれた。幸い、こちらの言うことは理解し、身の回りのことも自分でできるようにはなっている。わがままな態度をすることもなければ、不安そうな顔をすることもない。私が作った料理も一つ残らず食べてくれた。

しかし内心はどうだっただろう。妻の入院中、娘は何度かふと涙を流したことがある。声を出して泣くわけではなく、涙はすぐに止まった。しかしやはり寂しかったのだろう。そんな気持ちが涙となって現れたに違いない。私が料理をしていると、寄り添うように近づいてきたことも何度かある。それは「ご飯まだ?お腹すいたよ」というシグナルだったかもしれない。しかし妻に対して、そこまでしたことはないはずだ。私にはそれが「お父さん、お母さんどこに行ったの。私、お母さんがいなくて寂しいよ。」という彼女の叫びかもしれない、と思えた。しかし娘の表情は常に明るかった。笑顔も絶やさなかった。それはこのような状況になったことを彼女なりに認識していたからだ、と思っている。「お母さんがいない間、お父さんとお兄ちゃんが家のことや私の世話をしてくれている。だから自分がわがままを言ってはいけない。」娘はそう思っていたのだろう。だからずっと笑顔でいてくれたのだ。本当のことは誰にもわからない。しかし障害があっても人間の心は持っている、娘は娘なりに寂しさと必死に戦ってくれている、そう思うと胸を熱くせずにはいられなかった。

息子も協力的だった。彼は幼い頃から妹の障害を認識することで本人に優しくするのはもちろん、親に対しても負担をかけまい、と常に気遣ってくれた。私は娘に障害があるとわかった時は本当にショックだったが、兄である息子が素直で優しい人に育ってくれたのは、それと無関係ではないと思っている。娘が健康者であったとしたら、息子は決してこのようになってくれなかったのではないか。特に最近、そう思うようになった。障害は厳しい現実であり、重い十字架だ。しかし一方では、このような幸福をもたらしてくれるものでもあるということを、息子は教えてくれた。

こうして親子三人での生活は、私にとってとても幸せな時間だった。妻がいない間、助けてくれた二人の子供には感謝せずにはいられない。そして二ヶ月の時が経ち、ようやく退院の日を迎えた。妻は順調に回復していたが、入院中は娘を病院に連れてくることを拒んでいる。娘は今まで学校や施設から帰宅すると、それ以降は外出したことがない。娘のためにはその生活パターンを変えない方がいい、と判断してのことだ。そして自分がベッドに横たわる姿を見せたくない、ということもあっただろう。元気になって、普通に歩けるようになってから会いたかったに違いない。帰宅して家に入ると、ちょうど入口に娘が立っていた。妻はその姿を見つけると大声で名前を叫び、強く抱きしめた。激しく嗚咽し、何分も離れようとしない。ようやく離れて私の顔を見ると「色々ありがとう」。一言ポツリとそういった。私は無言で頷き、彼女の肩にそっと手を回した。

その日、娘には「ありがとう。よく頑張ったね。」と声をかけた。何度も繰り返しそう言った。もちろん返事はない。しかし「お父さん、わかってるよ」。彼女の笑顔がそう答えてくれた。妻の入院は、夫婦とは、家族とは、そして幸せとは何かということを教えてくれた。結婚して二十三年、私達は初めて本当の夫婦になれた。そして初めて家族が一つになった。これからの残された人生、私は命をかけて、この家族を守っていく。


(岐阜県・H.I/男性)