障害持ち家内に代わり料理作り


30年も前の私の定年ごろに、「料理を作る こと、ワープロで作文を書くことは脳の活性 化になり、老化防止になる」と言われていた。

女性は体格的に男性よりも短命のはずだが、 30年も家族のために料理を作るから、男性よりも長命であることが何よりの証拠である。

私は子供時分から「食べる」ことに興味が無く非常に痩せていて、小学校同級生からは 「鉛筆が鉛筆を持っている」と笑われていた。

「食べる」ことに興味が無くても、定年後 は、神戸市の『高齢者大学』「食文化コース」 へ週3日の2年間も通学して料理を勉強した。

その時に「料理の意義」を感じて、入学できなかった他の男性のための部活「男の料理 教室」を作り、その後に起こった『阪神・淡路大震災』で、手薄になった「老人ホーム」 の料理作りのボランティアに行ったりした。

『高齢者大学』の卒業後はボランティアの 「料理作り」が続き、家ではワープロで料理関係などの作文を書く日常生活が続いていた。

10年前に、家内は、娘の子育ての手伝いに行くために、雨天の日に急いでいて転倒し、 脊髄を骨折する「障害持ち」になった。

私は、そのことから家内に代わって、「料理作り」をするようになったのである。

難しいことではない炒め物や、簡単な煮炊きなどをしていた。味付けは、家内に及ばないが、家内にウソでも「おいしい」と言われると、「作り甲斐」を感じるようになった。

そして「家内のために」と思いながら作っていると、女性は、子供を生んで育てていることから、「人間の命は大切」と言う、女性の本心が分かってきたのである。

家内が若い時の「婦人会活動」で、政府が戦争につながる「再軍備」を提案した時には 「人間を殺し合う戦争は反対」と、反対活動 をしたことの意義を思い出して理解できた。

最近は、家内も年齢を重ねたことから味覚が落ちたのか、私の料理に「おいしい」の声が聞かれなくなったのは寂しいことである。

私は、今は高齢者と公民館で「老化防止」 のために「作文」を書いているが、「料理」 に関することの「作文」を書く時には、家内への「食事作り」のことを書いている。「女性の温かい本心を理解するようになった」などと書けば、公民館の職員の女の先生や女性 のみんなは「女性の心を理解してくれるから、 文章も上手」と褒めてくれるようになった。

そんなことで、今は私の「老化防止」のことから、障害持ちの家内への「料理作り」で、 多く勉強して人生の「有意義」を感じている。 私の父は、戦前の小学校の先生をしていて 「人間の命の大切さ、人殺しの戦争反対」を教えたことから、「臨時教員」に格下げされ、 病気になって終戦後に亡くなった。葬式には、 かつての女性教え子の多くが参列して、出棺の時には泣きながら「仰げば尊し」を歌った。 その後に「女性本心を理解する教育をした」 と町中で評判になった。家内の「介護」から人間を考え、「いろいろ教えられた」と思う。


(兵庫県・K.U/男性)