受け入れること
母を見送って7年になる。
大きく、強く、優しかった母は、脳梗塞の後遺症で思うように生活できなくなってから、小さく、弱くなり、理不尽に怒るようになった。
あらぬ事を口にしては、間違いを正す私に悲しみと怒りをぶつけた。
病気と現実を受け入れられず、日に日に変わっていく母を見るたび私は「介護」の二文字におしつぶされそうになっていった。
夫も子供も手伝ってくれ、 又気遣ってくれたが、変わっていく母を止めようともがく辛さはどうにもならなかった。
そんなある日、臨床心理の立場からの「介護と傾聴」という勉強会がある。と知人から聞かされて二日間の講座を受けた。
そして、私は大きな間違いに気づいたのだ。
私は母に現実と常識を理解させようとしていたが、認知症になった人の心は、とても純粋で、自分にかけられる言葉より、態度と心を読みとっている、というのである。
変わっていく母を否定している私。母の病気と変化を受け入れられたと気づいた。
又、介護は恩の報じあいであり、子供を困らせる親 は、最後に子供に親孝行をさせてやろう、と、どこか魂の深いところで画策のかも、、、という、験談からのお話に、心にストンと落ちるものがありました 。
今の母を受け入れようと思い、今までの恩返しをしようと思えるようになってからの介護は、苦痛ではなくなりました。
母を喜ばせようと血糖値は気にせず、好きなあんドーナツを買って来たり、多少脚色が加わった母の昔話を注釈を入れずにうんと、聞いてあげることもできるようになった。
そして、講座を聞いて、一番勉強になった事は、「不安」をそのまま受け入れるという事です。
たとえば、「明日は兵隊が私を連れ去りにくる」と言い出したら、 「そんなことはない。 そんな訳の分からない事をどうして言うのか。」と、理解させ、母の不一を除こうとしていたのだけれど、内容はともかく、「怖い」とうけとるのが大切だという事です。「お母さんは兵隊がやってくると思っているんだね。それは怖いね」と聞いてあげた。
そうすると、母が、何かおかしな事を言うのでは、、、と、身構えなくなった。
なによりも、「それは怖いね」「それは幸」と気持ちだけ丸ごと受取ったら、もうそのことはどこかいってしまうのには驚いた。
それからも、母は小さくなってはいったが理不尽に怒ったり嘆いたりしなくなったので介護はとても楽になった。
思えば人間は、自分を理解して、受け入れてくれる人がいれば、それ以外の事はそんなに必要ではないのかもしれない。
母の介護の時に苦しんで、受けた講座で知った事、出会った方々に教えてもらったことが、今の私を支えてくれる事はとても多い。
臨床心理士さんが言ったように、母は、最期に私に自分を台として大切な事を教えてくれたのかも知れない、と思う。
迷い苦しい時は、何かを学ぶチャンスでもある。誰かの力を借りるのも大切だ。
前を向いて、相手を助ける気持ちで向かえば介護のなかで得られる事も沢山あるのだと、体験から思いました。
(大阪府・I.N/女性)