『最後の旅行』


私は、昔から、母が苦手だった。 「女は、でしゃばったらいけんよ。男を支えてなんぼのもん」と、昔気質の女性観を私に押し付け、女に学問は無用と、大学に行くのも反対された。順当に妻子持ちとなった弟二人を横目に、仕事に明け暮れ、長く独身を続ける長子で長女の私に、会えばいつも文句ばかり。私は母と相対するのが苦痛でならなかった。
そんな母に初期とはいえない癌が見つかった。父を亡くした後、「子どもの厄介にはならない」と施設暮らしを自ら選んだ矢先だった。
医者は、「あと、3ケ月もたないかもしれない」と言う。
ならば少しでも早いうちにと、私は『最後』の家族旅行を計画した。
大型のレンタカーに、私たち姉弟とその家族ら合わせて八人が乗り込み、隣県の温泉地を目指す。わいわいガヤガヤ賑やかな事、この上ない。母も嬉しそうだ。
二時間のドライブの後、無事宿についたものの、母はさすがに疲れたようで、せっかくの温泉にも
「お風呂はちょっと……」
「それなら、足湯に行こうや。あれなら疲れんし、気持ちいいよ」
「そうやねぇ」
母と二人きりは苦手。
でも、今、ここで行かなければ、この後ずっと後悔しそうな気がして、私は、半ば無理やりに母を誘った。
母の靴下を脱がせ、ズボンの裾を膝あたりまで捲る。ゴリゴリに飛び出た膝から伸びるやせ細った左右の足を、順番にゆっくりと湯に浸けてやる。「はぁ~」と気持ちよさそうに上下した胸は薄く、肩から続く二の腕、手指…肉が削げ落ちたそこここの部位に、母の命の儚さを思い知った。
「ほ~らぁ、やっぱり足湯いいやろ。気持ちいいやろ。来てよかったやろぅ」
苦手な母と二人きりの間を持たせようと、私は、しゃべり続けた。
すると、母が… 「お母さんね。学校の成績は良かったんよ。上の学校に行っとたら、手に職つけとったら、あんたたち連れてお父さんと別れることもできた」
えっ?
「そやけど、お母さん、なーんもできんけ、稼げん。だから我慢したんよ。それが普通やって思って。女なんか、所詮こんなもんやって思って」
ほっぺたを押さえながら、肩を震わせて泣いていた母を思い出した。
「でも、あんたは違う。あたしやお父さんが何と言おうが、男勝りに働いて。弟たちより、よっぽど出世しちょう。いろいろ言うたけど、あんた見て、女でもできるんやって思った」  初めて聞く母の本音。そして… 「あんたは、お母さんの自慢の娘やけ。がんばりなさいよ」
そんな言葉、今まで一度も聞いたことない。いつも、いつも、会えば文句ばかりだったのに。
涙で目が膨れる。こんな顔、見せたくない。私は、そっぽを向きながら、 「ねえ、この次はみんなでどこ行こうか?」  次の『最後の旅行』の相談を始めた。


(東京都・K.K/女性)