介護は手助け


一昔前は、老いたら家族に見守られ、自分の家で最期を迎えるのが普通でしたら、身寄りのない哀れな老人だけが、養老院という施設に入所し、最後迎えました。これが大きく変わったのは最近のことです。
私が90歳で亡くなった明治生まれの母を介護していた時、友人が「昭和1桁は親を見る最後の世代で私たちは子供に看てもらえないんだよ」と言いました。その時の私は「そんな」と気にも止めないでいました。ところが最近、友人の言ったことは本当だったと気づきました。私の住んでいる市に、あっという間、ひまわり、わかば、あじさいなどなど、いろいろ美しい名の老人施設ができたのです。そして私の友人や、近所の老人たちが次々と施設に入所したのです。老いには介護が付きもの、老いた親の介護は大変と言うことで、子供たちは施設に入れるのです。中には子供に迷惑をかけたくないと、自分から進んで施設に入所する人もいます。昔の姥捨山を思い出して悲しくなりました。しかし考えてみると、今の社会ではこれも仕方ないことだと思いました。少子高齢化社会の現代だからです。私が子供の頃は子だくさん大家族なので、協力すれば介護は困りませんでした。現在は核家族です。介護の負担は大です。昔は人生50年でしたが、薬の進歩で寿命が延び、人生100年になろうとしています。寿命が延びたとは言え、年には勝てません。丈夫な人でも手助けが必要になります。介護の専門職がいる施設に入所した方が安心と言うことです。幸い、福祉社会になった事で、介護保険があり入所しやすくなりました。介護はしてみないとわからないことで、私は何仕事よりも介護職は辛い仕事だと思っています。普通仕事には、
・できたと言う達成感、満足感があります。
・それなりの報いがあります。
このどちらもなく最後にあるのは死、これが老人介護です。
私は59歳から66歳までの7年間、90歳で行った母の介護をしました。あの頃はまだ介護保険等ありません。私がどうにか母の介護ができたのは3人の妹がいたからです。薬局をやっていたすぐ下の妹は、母のおむつ薬など全部引き受けてくれたので経済的に本当に助かりました。次の妹、三女は専業主婦だったので、毎日のように来ていろいろ手伝ってくれました。美容院をやってくれた4女は母の入浴やらいろいろ手伝ってくれました。子だくさんのおかげで、母はわがまましながら介護を受け、90歳と6ヶ月で逝ったのです。
私は娘が1人、娘の結婚相手も一人っ子、そんな私は身の回りのことができなくなったら施設に入るつもりでいました。ところが子供が独立した後、夫が病死した娘が自宅を整理し、私と同居すると言って帰ってきました。「子は親を見る義務があるんだよ」と言う娘、今私と2人暮らしです。親を見る最後の世代だった私は、今娘に見てもらい幸せに暮らしています。人生分かないもので、私はこのような結果になりましたが、超高齢化社会の現代は、最後の介護は普通になると思います。ただはっきり言えるのは、老人介護が大変なこと。私は自分のことは自分でやろうとがんばりましたが、歳とともに体が言うことをきかなくなり、いろいろ助けてもらわないと生活できなくなります。人それぞれ違います。それに合わせ介護するのですから大変だと思います。それに老いて体が不自由になっても、誇りのある老人、私は母とよく喧嘩しながら介護していたのでわかります。そんな私は今娘と親子喧嘩しながら手助けしてもらっています。


(秋田県・H.S/女性)