父の想い


一昨年父は亡くなった。
18年間、いろいろな病気になり、その度に奇跡の復活を遂げ、病院の先生からもこんなにもがんの進行が遅いのはなぜか分からないと言われた。
しかし、そんな父にも、ある日突然声が出にくくなり、食べ物がのどに詰まる日がやってきた。
前日にはカラオケで大きな声が出ていたと連絡をもらっていたのだから、本当に突然の出来事だった。
その日を境に父は急激に弱っていった。
それでも家にいる間はゆっくりでも母の作ったご飯を食べ、それなりに過ごしていたが、ところどころそれまでの父ではない行動が出始め、その対処に母が対応できなくなってきた。
このままでは母が先に倒れてしまうとの判断で、父を入院させることにした。
家ではまだ普通食を細かくすれば自分で食べられていたが、病院では個別に対応してくれる余裕もなく、症状判断により、味気のないゼリー食になってしまった。
食に対することが父の生への原動力と言っても過言ではないのに、これはと、先生に直談判したが、判断は変わらなかった。
案の定、父は痩せ細り、覇気がなくなり、寝たきりの状態になっていった。
管や、点滴で栄養を入れていくようになった頃、無意識に管を取ろうとするらしく、両手にグローブを付けられてしまった。
私たち家族も父の手ぐせの悪さは分かっていたので、致し方ない処置だと思ったが、毎回、これは元気な頃からだけれど、帰るときには必ず父や母と握手をしていたので、生身に触れないのは辛いことではあった。
しかし、こうなると、父は自分の手ではひげを剃ることも、髪を洗うこともできない。
若い頃から1ヵ月に1回は散髪に行っていた髪もひげも伸び放題になってしまった。
亡くなる少し前に、病院で寝たきりでも散髪を受けることができると聞き、予約をして、私たち家族も病院に行き、美容師さんの手伝いをした。
私は父の頭を抱え、上げたり下げたりしていた。母や妻はその様子を見ていたが、後で聞くと、父は気持ち良さそうにしていたらしい。
そうして、父はさっぱりした感じで、私たちも久しぶりに父らしい姿を見られて嬉しかったのを覚えている。
しばらくして、父は危篤になり、ICU に入ったが、何人もお見舞いに来てくださった。
痩せ細ってはいるものの、身綺麗になっている父を皆さんに見せることができ、父のイメージを損ねなかったことは本当によかったと、自己満足でしかないかもしれないけれど、今でもそう思う。
後日、領収書を見て、散髪をしてくれた美容師さんが病院から80キロは離れている父の故郷から来てくれていたことを偶然発見した。病院近くの美容師さんだと思っていたので、その時に分かっていたら、父も喜んだだろうにと惜しい気持ちもあるが、何かの縁というか、父の想いのようなものを勝手に感じてしまった。


(兵庫県・R.S/男性)