主役は母ちゃん


「母ちゃん、来月から老人ホーム入るんけんどいいな…」
「わしやここがええ、どこへも行かん、このうちがええ。」
母ちゃんを渋い顔をして首を横に振った。
仕方なく、車椅子でも生活しやすいように母屋を模様替えした。
母ちゃんは今年92になる。認知症だが、好きな俳句や書道に親しみながら田舎の一軒家で独り暮らしをしている。
ヘルパーや訪問看護士の方にお世話になっているが、だんだんと身の回りの事が一人ではできなくなってきた。そこで隣県に住む四人の息子達が毎月、一週間ずつ交代で実家に泊まって母の介護をすることになった。
食事の支度、給仕、着替え、オムツ替え、車椅子を押しての散歩、と慣れない介護に最初は四苦八苦した。認知症の講習会や主治医の先生の助言を受けに幾度となく病院にも足を運んだ。そこで学んだことは、笑顔、優しさ、同調の心、肯定の大切さだった。
兄の発案で兄弟の連携を取るために引き継ぎ連絡帳を作った。母の日々の様子や行動で気づいたこと、介護の感想など、自由に書き込んだ。母への想い、それぞれの悩み、兄弟ならではの本音がわかり、書くのも読むのも楽しかった。
“介護という名演劇をやろう”兄貴の一言は面白かった。
主役はあくまで母ちゃん、オレたちは母ちゃんをもり立てるは名脇役だ。
昨日はおふくろの誕生日、好物のとろろ汁を作った。おふくろがだし汁を作ってくれた。やっぱりお袋の味はうまい。リハビリ体操も一生懸命やっていた。褒めてやってくれ。弟の伝言に心が和む。
梅雨の晴れ間、夕方一週間ぶりに車椅子を押して散歩に出た。丘の上の公園まで来ると空は真っ赤な夕焼けが広がっていた。
夕焼けの一色を握り眠る吾子(あこ)”
ふと母ちゃんのこの句を思い出した。

優しく頬を撫ぜていく涼風が心地よかった。


(静岡県・H.A/男性)