うまいもん


「あと1年」妻の命はあと1年と聞かされて心臓が一瞬止まった。目の前が真っ暗になった。人は悲しみの極致に立ちた時、「頭が真っ白になった」と表現する。僕は真っ黒になった。
医者も医学も打つ手は無い病気。東大附属病院の助教授の肩書を持つ先生に助けを求め上京した。先生は「奥様にうまいもん食べさせてあげてください」一言残して、田舎から持参したお土産ぶら下げて去っていった。取り付く島は無い。九州大学の名医にも相談した。なんと東大の先生と同じ答えだった。
一年間、うまいもん食べさせ続けた。「座薬です」と渡されて、うかつにも前の入り口へ入れた。女は並んで入り口、本口があるから間違えるのは当たり前の話し、看護婦は笑って許してくれた。「座薬です」と渡されて座って飲んだおばさんがいたと聞いた。上には上が居るもんだ。「陽性です」と言われて赤飯炊いて祝った患者の家族もいた。陽性と聞けば陽気になり、陰性と聞けば陰気かになるのは当然の話し、陽気になった患者に拍手を送った。後年、陽性は悪いことで、陰性は良いことだと知った。医学では普通の文法?は通らないようだ。常識が非常識とは…こんな男の介護、何の役にも立たない事は重々承知しながら、70キロ近い巨体が半分に、豊満な乳房が10円玉に変わり果てて行く妻を見護らねばならない介護者の胸中、筆舌でなど表すことはできない。
「うまいもん」だけの1日1日。命の灯の消えるまでの1年、100年の時に思えたが、その時が来た。介護空しく、なんて言えない介護を受けて妻は旅立った。53歳の短い生涯だった。僕は妻の分まで生きてやろうと決めた。やっと米寿まで来た。あと半分生き抜くつもりだ。今からうまいもん食べ続けることに決めた。

 


(岐阜県・K.H/男性)