経済活動の中の道徳


「神の見えざる手」、あるいは単に「見えざる手」という有名な言葉があります。これは経済学の父と呼ばれるアダム・スミスの考え方で、「各自の利益を追求して自由競争をすれば、自然に社会全体の繁栄と調和に向かっていく」という意味です。

果たして本当にそうなのでしょうか。確かに、市場における需要と供給のバランスはとれるのかもしれません。しかし、競争に負けて淘汰された人たちはどうなるのでしょうか。経営者が利益を求めるあまり、多くの労働者を苦しめたとしたらどうなるのでしょうか。欲望に任せて自分だけが儲けようとしていて、本当によい社会が築けるのでしょうか。

人間の社会生活に欠かせない「衣食住」は、確かに売買の対象となります。しかし生身の人間は、冷徹に合理的な経済活動を行っているだけの存在ではありません。私たちは人としてのよりよい生き方を見つけて、世のため人のために尽くしていけるように努力しなければいけません。

他人の幸せを祈る心を持った人間が、経済面だけは他人を蹴落としても構わないと考えるのは大きな矛盾です。経済活動の中でも道徳を追求し、物やサービスを売る側も、買う側も、その周辺の第三者も、皆が同時に利益と幸福を得られる道を拓いていくべきです。


出典:「三方よし」の人間学-廣池千九郎の教え105選