母の赤い腰紐


作家の吉川英治氏(一八九二〜一九六二)は、郷里を離れて働いていた青年時代のある日、赤い紐で結わえた小包を受け取りました。それは見覚えのある母の腰紐で、中身は数冊の本と刻みたばこ。本が好きな息子を思って、母が送ってきたものでした。 この代金を稼ぐために母が幾晩徹夜で内職をしたかと思うと、吉川氏は涙があふれたといいます。翌日から、ベルトの上に赤い腰紐をぎゅっと締めて仕事に行きました。

後年、文化勲章を受章した吉川氏は、その日の夜に「色のさめた母のシゴキ(腰紐)が、自分の杖となって、自分は今日まであまり間違いもせず、世の中をわたってこれたのだ」と述懐しています(参考=扇谷正造著『吉川英治氏におそわったこと』六興出版)。

苦悩に満ちた人生の中で、時に道を踏み外しそうになった吉川氏を思いとどまらせたのは、自分のことを本当に思ってくれる母との心の絆だったのです。


出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日