ごめんなさい


父が逝き、母との二人暮らしが始まったのは私が三十歳の時だった。かくしゃくとして卒寿を迎えた母は長生きをするだろうと思った。と同時に、介護のことが漠然とながらも頭をかすめた。それからは、毎日新聞の女の気持ち欄に掲載される介護の投稿を注意深く読んで、万が一の介護の為に心の準備をしていった。

母が九十五歳の時に庭で転倒して、介添えなしでは歩けなくなったこの日から、介添と炊事と洗濯が私にのしかかったが、十数年の心の準備で少しも慌てることはなかった。しかし、悪いことは次から次と起こるものだ。母に認知の症状が出始めて下の世話もすることとなった。朝起きて、母のおむつ替えをして食事の用意と洗濯を同時にする。介護の合間を縫って私の用事と買い物を手早く済ませる。夕方にもう一度オムツ替えをする。夕食をとらせて午後十時に母を寝かせてからの二時間が私の安らぎのひと時である。そして朝までの時間が地獄の格闘である。「水を飲ませろ」「おむつを変えろ」などと夜中にが五度も六度も叩き起こす。これが母を介護する私の一日である。こんな苦労をするのも、私の業と諦めてはみるものの不平不満の一つも口に出る。

このような生活が三年続いてリズムが生まれ、下の世話も悪夢のような夜中にも、心底から楽しんでいる自分に気づいた。「これなら母さん、後十年の介護も自信があるよ」そう思った矢先に、「後三年…百まで…」そう言って母は九十七歳で旅立った。六月二十日に母の一年忌が来る。疲れて声を荒らげたり、夜中のぐずりに手を抓ったりと、私の介護は至らないところばかりの、出来損ないの息子でごめんなさい。


(鹿児島県・M.M/男性)