ハンカチ


「母さん、涙を拭いて…… 父さんがもうすぐ麻酔から覚めるよ。父さんに涙を見せてはだめだよ」
差し出されたハンカチを見て、私は戸惑った。たった今、夫の胃癌の手術が終わり、主治医の先生から、想像以上に癌は進行していて周りの臓器への癒着が激しく手の施しようがない。胃の切除は不可能で開腹したものの成す術もなく縫合。お気の毒だが余命一か月と宣告を受けたばかりだった。娘と私は階段の片隅で泣いた。末期癌と告げられてから覚悟はしていたものの、一か月は余りに短い。声を殺して泣き続ける今の私に、泣くなという人は母か姉ぐらいだ。しかし 母は17年前にあの世に旅立ったし、姉は愛知県から遠い神奈川に住んでいる。 私は思わず泣くのをやめて、ハンカチを差し出している人をまじまじと見つめた。それは、まぎれもなく私の娘だった。さっきまで一緒に泣いていたのに、もう涙はなかった。
夫は自分が癌である事を知らない。三カ月に渡る入院生活のストレスで、胃潰瘍になったので、悪い部分を切り取ればご飯がおいしく食べられるようになると、単純に信じている。そんな夫に涙を見せたら、何かあると思うに違いない。娘のことばで我に返った私は、大きく深呼吸した。もう泣くまい。夫の前では決して涙を見せまいと決心した。これからの日々は、死に向かって確実に一歩一歩歩んでいく夫を、看病しなければならない。果てしない永遠の闇の中の一か月は、想像するのさえ恐ろしい。今日は私の人生で最悪の日なのに、奇妙なことに何故か絶望していない自分がいた。娘のハンカチで涙を拭き追えると、これから続くつらく厳しい日々を、乗り越えて行けそうな気がしてきた。、
娘が小学校に入学し、初めての通知表を見た私は唖然とした。ことに算数が三段階評価の最低ランク△は、当時教師をしていた私にとっては屈辱的なことであった。ピアノを習わせても、バレー教室に通わせても期待には程遠く、イライラはつのるばかりだった。中学に入学して英語が2と評価されるに至って、もう期待するのはやめようと自分に言い聞かせた。娘の欠点ばかりが目につき、職場で子供の進学の話題になると肩身が狭かった。
しかし、泣いたらだめと差し出されたハンカチで涙を拭いた私は、子供を守る母親から、子供にいたわられる母へと立場が逆転した瞬間でもあった。娘はいつの間にこんなに成長したのだろうか。父親が余命一か月の宣告を受けた事は、娘にとっても辛く悲しい現実なのに、母をいたわり、父を気遣う優しさと強さを持つ大人の女性になっていた。教師でありながら、自分の子供を学校の成績だけで評価していた自分が恥ずかしい。
やがて夫が麻酔から覚め、弱々しく目を開けた。
「父さん、がんばったね……。気分はどう?」
私は娘のハンカチを握りしめ、笑顔で話しかけた。


(愛知県・M.H/女性)