「介護を通して得たもの」


私は七十二歳、夫は七十九歳、三人の息子をそれぞれ独立して所帯を持っているので二人暮らしである。
元気だった夫は六年前、初期の肺がんの手術をし転移もなく喜んでいたが、昨年、気胸と診断され入院、それから徐々に歩行困難になっていった。そして介護度二の認定を受けた。
歩行が難しくなるにつれ、杖、歩行器、車椅子、ベッドにはポータブルと段階的に使用用具は変わっていった。しかしそれはスムーズに移行したのではなく、一段階進むに度に「そんなものいらない!」と強く拒否された。自分ができないことを認めたくなかったんだと思えた。無理をして、何度も転び尻もちをつき、ああこれではダメだとつくづくわかり、その間、妻がいかにトイレ介助などで疲れ果てているか、妻の疲労と不機嫌な顔とを考えて一つ一つ次の段階に進んでいけたのだと思う。ベッドの横にポータブルを置こうとした時は夫は「俺は寝室を便所にしたくないんだ!」と言い放った。戦前生まれの男の弁である。私は私で、どこかつかまらないと歩けない夫を後から支え夜間、多い時は一、二時間おきのトイレ介助に疲れ果て、「あなたは妻の大変さを何もわかっていない!」と口をついて出る。そして二人は何日も気まずい沈黙の日を過ごすのであった。そして、そんなこんなの繰り返しで、ようやく今の落ち着いて日々になった。
そこから分かったことはたくさんあった。
私は五十代後半から六十代の十三年間介護施設でショートステイ専門で利用者さんのお世話をしてきた。なのでもし家人が介護が必要になっても平気でうまくやれるという自負があった。が、さにあらん、利用者さんと家族は違っていた。それぞれの家族ゆえの感情が生まれ自我が剥き出しになる。「こんなにしているのに私の苦労がわからないの?」という気持ち、そうかと思えば「ああ、病人なのにかわいそうな態度をとってしまった。」という反省の気持ち。そして明日は優しくしようと思ってもうまくいかない感情。
夫は夫で、昔、山登りまでしていた自分ができないことばかりの不甲斐ない自分へ悲しみの気持ち。夫婦は毎日、こんな思いを抱いては消し、一つ一つ今の現実を認めない限り前に進めないことを実感し、乗り越えてきたんだと思えたことである。
こんな日々の中、良いこともあった。我が家は一階が店で二階が住まいである。病院に通院する時、夫を一人で下ろせない。一番近くに住む次男に手伝ってくれないかと電話をした。
「いいよ」何の迷いもなく返事が返ってきた。いつも家族で遊びに来ても直行で自分の部屋だった所に行き本を読んでいるような会話をあまりしない息子なのに会社を休んで手伝ってくれた。主人を階段からあげようとしたら、息子は主人の前にしゃがんで主人をおんぶしようとした。私は「無理ー」と言い二人で運んだ。「おんぶできるのになぁ」と息子はつぶやいた。後に夫にその時のことを言ったら「親をおぶおうなんて可愛いじゃないか」とまんざらでない顔をした。なんだか心があたたかくなった。
介護は人間の生の心が噴出する場。綺麗事ですまない場と思えるようになった。長い人生の中で見えなかった自分の持っていた心も見えてきた。意外に我が強い自分。意地悪な心もあった。自分はこんな人間だったのかという面も見えてきた。
でも反面、今まで見えてこなかった家族の本音とか、子どもたちの優しさとか、いざ困った時にはいつでも手を貸してくれる子の心根とか、甘えてもいいんだと思えた親の嬉しさとか見えてきたように思う。たくさんの幸せを得たと思える。そしてその想いを大事に感謝して暮らしていかねばと思えたのでした。


(長野県・A.I/女性)