介護体験から思うこと


父は3か月入院し、後半の3か月は自宅で介護を受けた。入院した原因は胃潰瘍だった。が、精密検査をする中で別の場所にガンが見つかった。おかげで、胃潰瘍の治療が終わると、そのガンの治療も受けることになった。入院期間が3か月にもなったのはそのせいだった。

そのまま入院を続けてもよかったのだが、父は拒否して自宅介護に切り替えた。一回抗ガン剤を使ったのだが、その副作用で父は1日何も口にできなくなった。吐き気も襲ってきて、一日中それに苦しめられたのだと言う。父にはそれが耐えられなかったのだ。

当然、私たち家族は反対した。できれば抗ガン剤を何度か使用し、ガンを少しでも小さくしてから自宅介護に切り替えた方が良いと、判断したからだった。

ただ、父の決意は固かった。私たち家族を前に、「頼むから、オレを自宅に戻してくれ。そうしないと一生後悔しそうだから」と言って泣いたのである。初めての男泣きだった。 そこまで父が本気で望んでいることを知っては、私たち家族にも二言はなかった。「父の人生なのだから、私たちがああしろ、こうしろと決めてはいけないのだ」と自分たちを納得させ、父の言うとおり自宅介護に切り替えた。

だが、自宅介護は予想以上にたいへんだった。 介護の準備に時間がかかったこともそうだが、介護を始めてからまさに混乱を極めた。へルパーは週一回来たし、介護士協会からも何かあったらすぐに電話を」と言われていたが、母は頼らなかった。結果的に全ての負担を背負ったのは、同居する母だった。

入院が長引いたせいで、父は杖無しでは歩けなくなっていた。トイレに行くのも介添え なしでは無理なので、母がそのたびについた 。 その他、父に用事があれば呼ばれ、そのたびに母は飛んでいくことになった。  こうしたハードな日が続くうちに、 予想されたことだが、母は睡眠不足に陥った。それでも母は父の介護を続けたから、一ヶ月経ないうちに、倒れてしまい、私や妹が急遽に戻り 、母の手助けをすることになった。さすがの父もこれ以降、我が儘は言わないようになったが、要求の多さが、母を倒してしまったのは明らかだった。

こうした体験から思うのは、「介護をしない」ことに尽きる。そして、楽しみを見つけることが続けるコツだと感じている。母は全て自分でやろうとして倒れてしまった。本当なら囲にもっと頼れば良かったのだが、「父のために」とがんばりすぎたのだ。もっと頼れるところは頼って良かったのでは、と思う。

私もまた、母に任せっぱなしだった点を反省して止まない。率先して母を支援すべきだった、と母が倒れてから感じた。 亡き父の墓前に参るたびに、不十分だった自分を謝罪している。

 


(岐阜県・T.H/男性)