命を紡ぐ介護の絆


絆は人間のみならず、動物、自然、社会、文化などの間にも様々ありますが、親子の絆家族の絆は、「絆の中の絆」と言えるのに、介護の絆すら見失い、よりどころなく漂う現代人。今こそ見つめ直したいのは、先人の教え、親子の愛であります。
さて「介護」とは、病人を「介抱」し「介護」し世話(ケア)することです。私の体験では、かつて、父を急性心筋梗塞で亡くし、母は認知症から脳梗塞で看取りました。他に、親類縁者の死も多く見聞しましたが、今も認知症は難治性で長期のケアを要し、家族や施設の介護者の心身の負担は大なのです。例えば、認知症の老人の示す徘徊、攻撃的行為や転倒、骨折等は珍しくなく、危険防止上止むなく物理的抑制が取られることもあります。しかし、病人側は1人の「人」として扱って欲しいとし、介護者に希望するのは、機転、清潔さ、思いやり、優しさなどであります。
一方、私が思うのは、介護者が心すべき事は、どんな時でも心を平静に、病人の声を聞き病人と共感を得られる人になることです。
ところで、3年前の9月、私の旧家族で末弟が突然、「脳梗塞」で緊急入院しました。車を運転中、急にめまいをし、フットブレーキが何かふわっとしたと言うのです。幸い低速で帰宅途中でしたので無事でした。しかし、血圧は高く、右半身が麻痺したので緊急入院、その後は転院するも現在は自宅でリハビリ中であり、奥さんの介護は大変です。食事や夜中の排泄の手伝い等、介護疲れが心配されるほどです。病因は、心臓内の血栓が剥がれ、脳動脈が詰まり、次いで脳の末梢血管を詰まらせていたからです。治療法の1つに、本人の脊髄から採取した「幹細胞」を問題の頭部に注射し、細胞を枯渇させずに自己増殖させようとするものだそうです。とにかく、私より8歳も年下なのにと大ショックでした。病気は大別して、ウィルスの次元、血液の次元、神経の次元から来るとされ、中でも血液に関しては「万病は瘀血から生ず」とまで言われます。ウィルスの次元は別格であり、古くから人類とのいたちごっこです。
ドイツの諺に「共に喜べば喜びは2倍になり、共に悲しめば半分になる」とあります。「ケア」のもともとの意味は、「共に悲しむこと」で、これが命を紡ぐ介護の絆であります。「天は自ら助くるものを助く」と言いますが、他人の病を自分のことのように共に励ますのが優しさだと思うのです。介護の絆で命を紡げば未来は明るいのです。


(宮城県・T.T/男性)