ハイタッチ


「ハッピーバースデイ・トゥ・ユー」、妻と娘と私の三人で歌った。声にはならなかったが、義母は口を動かし、これに和した。バースデイ・ケーキを用意し、ろうそくを立てた。息を吹きかける力のない母に代わって、妻が火を吹き消した。そして、義母が大好きだったショートケーキを三人で食べた。残念ながら義母は、食べられない。ベッドの上で迎えた義母の九十六回目の誕生日であった。実際には、二週間ほど早かったが、もう先は長くないと思い、前に倒した。次の誕生日は来ないと解かっていたが、心は平静だった。それから、一週間ほど後に、義母は穏やかな最期を迎えた。平成最後の年の三月三日の朝であった。
妻にとって、長い介護生活であったが、妻にはやり切った感が残っている。妻は、義母にハイタッチしたいぐらいだ、と言った。九十六年の天寿を全うした母と精一杯の介護を続けた妻とが、お互いの健闘を称えるハイタッチである。

これより半年ほど前、義母の癌が進行し、終末について考えざるを得なくなった。どこで、死を迎えるか、悩んだ。本人は自宅を離れたくないだろうが、急変した時の対応には不安があった。また、自宅で死と直面することに躊躇があった。
そんな折、終末医療の専門医の先生にお会いすることができた。やさしく穏やかな先生で、いざという時には、温かく迎えてくれると聞き、心の平穏を得た。
これ以前に、主治医の先生、かかりつけ医の先生、訪問介護のヘルパーさんと訪問看護師さん達の手厚いサポートがあったからこそ、自宅で介護を続けてこられた。
これらの人々の助けを得て、自宅で義母の最期を看取ることができた。やり残したことはなにもない。だから、妻は、義母とハイタッチをしたいぐらいという。義母と妻を支えて下さった皆様には感謝の気持ちで一杯だ。


(東京都・T.N/男性)