消えない思い


医療職をしている関係もあって終末期の話は生前からしていた。母親は自然がいい、管は嫌だ、もう子どもの顔が分からなくなったら施設にいれてもいいと早いうちから意思表明しているが、40代に胃がんをして肺炎を繰り返しながら生き抜いてきた父は何も言わなかった。
しつこく聞こうとしたときに「子どもに任せる」と言った。さて、2年前に父がドラマでよく聞かれる言葉を言われる状態に陥った。「今夜がヤマです」ヤマだといっても大病院のICUは面会が30分まで。付き添うこともできなかった。
医師からどこまでの治療を求めるかを聞かれた。ここだ。子どもに任すと言っていたが、父の子どもは3人。私が姉だが、弟と全く意見が違った。
気管切開も胃がないので腸ろうも全部してほしいと弟は言った。父は皆の意見が違うことを予想したのだろうか。それでも話し合いを重ねていけという意味だったのだろうか。弟は独裁者タイプで私はおろか母の言うことも聞かなかった。
父への思いが自然な死を望む私や母より強いのだろうと後付けで理解した。ヤマを越えて落ち着いた状態で転院し、低空飛行ながら細く長く生きるかと思われた父は半年後に療養先で亡くなった。
腸ろうを設置したため自宅に帰る態勢が取れなかった。元気なうちにやはり子どもの誰に任せると限定して言ってもらっておくべきだった。その場になったら父の意思が変わることがあったとしても。
娘としてもっと苦しまずに尊厳を保って亡くなることができたのではないかという思いが消えない。


(三重県・K.K/女性)