想い


30歳を目前にして、リハビリの学校へ通うため、実家を離れた。実家には、60代の父母と、80代の祖母が残った。小学校に上がるまで、祖母と二人で暮した月日が長かったため、私は、かなりのおばあちゃん子だった。老いた祖母を残していくのは心苦しかったが、夏休みと冬休みは必ず帰ってくると約束し、祖母を説得した。2度目の長期休みの前に、祖母は介護が必要な状態になり、老人保健施設に入所した。初めは、骨折して足腰に不自由を来たしただけだったが、入所生活が長引くうちに認知症が進んだ。長期休みの帰省中は1~2週間、ほぼ毎日面会に行った。私のことは、分かったり分からなかったりの、いわゆる“まだらボケ”だった。そばで話していても、もっと近くにもっと近くにと、まるで自分の中に取り込んでしまいたいかのように、私の顔を自分の顔に近づけようとした。自分にとって一番大切な存在の祖母だったが、学校に戻ると生活に追われて、祖母のことを考える時間はそう多くはなかった。施設入所のため、電話することもままならず、何ヶ月も会わず、声すら聞かないまま、祖母は亡くなった。知らせを受けたのは、卒業試験の当日だった。間に合わなかった。取り返しのつかないことをしたと思った。あんなに、自宅に帰りたがっていたのに、祖母は施設に入所してからはお盆もお正月も、一度の帰宅も叶わないままだった。私は実家を離れていて、介護に携わることも金銭的な援助も出来ないのだから、筋違いだとは分かっていても、祖母の望みを叶えてあげなかった父母を恨んだ。

あの頃の私は、自分の夢を犠牲にして祖母の近くにいてあげることは出来なかった。しょうがなかったと自分に言い聞かせてもなお、取り返しのつかないことをしたという想いは、今も根強く深く残っている。


(神奈川県・Y.S/女性)