家族の絆


介護という言葉を知ったのは小学5年生。私が物心がついた時でした。それまでは祖母が祖父の母の面倒を見ているという当たり前なような光景に過ぎませんでした。私も出来ることはと小学生ながらに何か手伝いたくご飯を食べさせてあげたり、面倒をみたりそんなことをしていたのを覚えています。年々認知が薄くなり様々な面でひどくなる義母のことを介護する祖母はとても辛そうで、正直に本音を漏らすこともありました。しかしそれでも毎日やり遂げる祖母の姿は今でも私の記憶の中に鮮明に残っています。それから数年し大祖母は老衰という形で亡くなってしまいました。祖母は正直すっきりした感情もあったかと思いますがでも当たり前のように毎日一緒にいたので寂しくて涙もしていました。そんな中続いて祖父が癌になり祖母の手を借りなければ生活できない状況になりました。祖父と祖母は元々あまり中がよくなく一緒にいると言い合うことが多い関係でした。そして祖父は家族に対しても基本的に文句ばかりで、不器用な性格。一匹狼のような祖父。そんな祖父の母をずっと介護していて次は祖父。正直祖母がかなり心配でした。ですが、毎日なんだかんだいいながらもちゃんと面倒をみて毎日入院している病院にも顔を出していました。祖父が病気になってから喧嘩もへり、2人で言い合うことなく一緒にいるようになった、そんな時、祖父がもう厳しい状態となりました。今まで見たことないような祖母。一言。寂しいという言葉を涙を流し口にしました。私も涙してしまいました。そして亡くなる数時間前。喉頭癌のため声を出して話せない祖父が家族を呼び一言。今まで沢山お世話になった。ありがとう。と。家族全員が涙しました。辛い状況でも3日頑張り、遠方にいた私が帰省するまで、家族全員が揃うまでしっかりと待ち、息を引き取りました。今でも祖母は寂しい。なんだかんだいい人だったといっています。これが絆というのかはわかりません。こういったところに投稿するにふさわしい内容かもわかりません。ですが、私の家族の絆はこれを機にすごく深まり、今まで素直じゃなく自分で何もかもという難しい性格だった祖母も素直に家族旅行などにも来てくれるようになりました。今は家族で祖母が楽しく過ごせるよう、今まで介護中は見てこれなかった景色を見れるように年に何度か家族旅行にも行くようになりました。祖母からの素直なありがとう。この言葉で私は絆を日々感じています。


(T.T・女性)