洗濯ありがとう


母は、パーキンソン病を患ってました。
発症して15年、少しずつ、徐々に要介護度があがっていきました。
派遣社員として、フルタイムで働いていた私は、介護ヘルパーさん、ショートステイをフル活用してなんとか生活を保っていました。
明るく、いつも気持ちが元気な母との生活は楽しかったですが、段々と仕事との両立が苦しくなってきました。

そんな中でも洗濯だけは、母が何時間もかかって、してくれてました。
私が仕事に行っている間に済ませてくれるので、転んだりしないかと正直心配で、もうやめてもらおうかと悩んでいたときに、洗濯機が故障して動かなくなりました。私があちこち触って、動くコツをつかみ、母に「ママじゃ動かせないから、もう洗濯はしなくていいよ。」と言ったときでした。
いつも明るく、弱音を吐かない母が、突然、わっと大声で泣き始めました。「洗濯したいの。」と。
そのとき、初めて気がつきました。母は、何も出来ない、役に立たない自分と思い、洗濯は、いつも私が「ありがとう!本当に助かるよー!」と言って感謝していたので、”人に必要とされたい、認められたい”、承認要求を選択することで満たしていたのでした。
なんでもしてあげることばかり、考えていた私は、母を親としては、接していなかった、子供に接するようにしてたことに気が付きました。
洗濯は、何時間もかかっていたと思います。私の役に立つために、私に喜んでもらうために、母は全力でがんばってくれていたのでした。
すぐに新しい洗濯機を購入すると、何事もなかったように、また洗濯をしてくれました。
年をとって、体が自由にならなくなったとしても、私には母が必要でした。ずっとそばにいて欲しかった。
それからは、簡単なこととかを一緒にしたり、母が必要だということをたくさん表現するようにしました。
とてもがんばってくれた母は、3年前に他界しましたが、いまでも洗濯は母の方が私より上だなと思います


(東京都・K.N/40代・女性)