ピアノと介護生活


六十四歳で勤めを辞めてから、長い間、考え、憧れ、それでも、とても出来そうもないと思っていたピアノを弾けるようになるという夢に向かって、努力してみようとピアノ教室に入った。同級生のほとんどは小学生で、恥ずかしかったが、それは、最初から覚悟の上だったから、頑張って、なんとか両手の指を動かすことが出来るようになるのに二年を要した。
そんな時、妻が軽度認知症と診断を受けた。政治に対する考えから、生活上の知識をくどくどと何度も繰り返し、それでいて、すぐに忘れてしまう。水道を締め忘れ、電気を消し忘れることが多くなって来たから、認知症専門外来に連れて行って分かった。
洗濯、掃除、料理など家事全般に振り回される生活がはじまり、ピアノ教室にも通えなくなってしまった。
そんな時、自宅から五十分ほどの名古屋駅の地下鉄広場にストリート・ピアノが置かれ、誰でも弾くことが出来るということを知った。
家にはピアノは無いが、自宅に二十四時間縛られることに息苦しく感じていたから、出かけ、なんとか弾けないものか、認知症が進み始めた妻に相談してみた。
妻は「いいよ。行っておいで」と、許してくれた。
それからは、ヘルパーさんが、来てくれる時間だけ、週に二度、一時間ほどストリートピアノが弾くことが出来ている。人前で弾けるような腕では無いが、恥じることなく、解放して、ストレスを解放している。
長く、介護生活が出来そうな気がしている。


(埼玉県・K.Y/60代・女性)