訪問介護できずいた家族の絆
『津久井やまゆり園』で大量殺人事件が起こった。
大変痛ましい事件であり、遺族の方々の気持ちを思うと測りがたい痛ましさを感じる。
犯人はこの施設の元職員で、動機は「知的障害を持つ人達は、社会的に存在する理由がない」という事だった。
このニュースを知って私は、もしこの人が介護の現場が施設だけでなく、障害者の家庭でも介護することがあったなら、違う考えを持ったかもしれない、と感じた。
私は、以前訪問介護の仕事をしており、知的障害者を担当していたことがあった。
彼らは意思疎通はほとんどできなった。しかし、その様な人たちを抱える家庭は、家族の絆が厚かった。
担当した中で、進学校に通う中学生の娘と知的障害者の息子を持つ家庭があった。 私はその家では母親が帰宅するまでの「見守り」を担当していた。
母親が夕方帰宅してくる。
しかし、すでに帰宅していた娘は、母親に「おかえり」の一言もなくテレビを見ているか自分のことをしているのが日常だった。
そんなことも気にせず、母親が真っ先に声をかけるのは、決まって知的障害を持つ息子の方だった。
その息子はもう20歳だったが、両親ともまるで『赤ちゃん』をあやすように声をかけていた。
ある時、息子は笑顔で母親に対して「お前バカ」と繰り返していう時があった。
母親が何を言っても息子はこれしか言わなかった。
しかし、それでも母親はそんな息子が愛しくて、仕方がない様子だった。対照的な娘と息子を見ていると、私は彼が家族の結束を強める「守り神」のように見えた。
とはいえ訪問介護員はその家庭の中では介護の『中継ぎ』のような存在であり、その家族の本当の苦労を知ることはできない。
しかし、家族の絆だけで言えば、この家族が羨ましく思った。
なぜなら、私の両親は中学校の時に離婚していて、親の争いが絶えない家庭で育った。
もし私が知的障害を持って生まれたなら、両親は離婚しなかったかもしれないと 思ったからだ。
身体障害者を持つ家庭は気の毒なことも多かったが、どの家庭も暖かかった。
それは私が経験したことない「家庭のぬくもり」だった。私が訪問介護を通じて感じることは、「すべての生きとし生けるものは必ず必要とされる」ということ。
そして介護は、お年寄りであれ障害者であれ、家族の絆を深める「最良の行為」である、ということであった。
(東京都・K.I/男性)