寂しい老人ホーム暮らし
老人ホームに入居して4年が経つ。入った当時は、ここで死ぬのかと思うと、何かと考えたものだが、周囲の老人たちを見ているうちに、私も老人だが諦めたのか、全く何もなくなった。
まして昨年末、心臓にバルーンなどを入れられ、抵抗力がなくなったから用心しろと注意されてからは、一層周囲の老人たちに興味がなくなり、見ようともしなくなった。私は偏骨なので、独学で短歌や川柳を読み、童話を書いて趣味としている。だから私は退屈しないが、趣味を持たない老人は時間を持て余している。勢い興味は家族の来訪だけに縛られ、それを心待ちにしている。
家族や子供たちによれば、家にいた時とは別の顔を見せるらしい。すなわち愛想が良くなったそうだ。それを聞いて同居しているときに、今のような態度で家人に接していたら、こんな施設に預けられなかったのにと話を聞くたびに思ったものだった。
私のように医師から一方的に老夫婦だけの生活は危険と断定されると、帰るところもないので諦めもするが、1人になって娘や息子に引き取られていた人は、なかなかにこの決心がつかないらしい。まして孫やひ孫ができると、この関心はそちらに向いて、訪問が減る。これは第三者なら必然とわかるが、本人の身になると、寂しさばかりが残り、離れてくれない。
介護士の仕事は、家事のできる人なら誰でも同様にできるものだが、ともかく人手が足りず、私が世話されている施設は恵まれている方だそうだが、それでも真夜中は、1人が30人の入居者を見ている。それにシフト制なので、穴を開けると他の職員に迷惑をかける。その点では自己管理は厳しく、きつい仕事だと言えよう。特養などの公的老人ホームに入ると、自由は制限されるし自分のやりたいことが何でもやれるわけではないので、少し寂しいが経済的には非常に楽になる。広域連合の知らせでは、毎月350,000円以上を払っているらしいが私は一級身障者でもあるせいか毎月100,000円も払っていない。それを見て、長生きしては国に迷惑をかけるので、そろそろいかせてと思うが、自殺はやりたくないので待つより仕方がない。
長生きがめでたいとは思わぬ反面、生きている間は充実していたいので、認知症等にならずに、特に若い時の失敗談と悩み克服記は残しておきたいが、成功談と誇れるものほどのものでもないとも思う。結局、我児でさえ思うように教育できなかった私の人生は、周囲の人間関係に振り回されることとなったが、退屈もしなかったので幸せだったのかもしれない。
80歳を過ぎてつくづく思う。自分の人生は能力相応に送らせてもらったと。
(大阪府・M.K/男性)