母の死んだ年になった私


母の死んだ年になった私、動きすぎて両ひざを痛めてしまった。今年の夏、ケニアより娘親子が帰国、ぜひ思い出にと母さんも行こうよとの誘い、ことわったけど、花火大会にゆくことにした。別居している長男夫婦が車で東海市まで連れていってくれた。娘が世話になるからと、みんな金を支払ってくれ、私が一番高い「うなぎ丼」を注文し、遠慮していたのにと、皆に笑われてしまった。食事もすみ花火会場まで歩いていった時のこと、ネパール人の嫁が、汗をかいている私の背中を、うちわであおいでくれていた。息子2人で腰に手をあて、一緒に歩いてくれた。人がいっぱいで、ぶつかり、あっちいったりこっちいったり。私は「つえ」をついて、必死であるいた。「お母さん大丈夫」と常に声を掛けてくれた。むすこもあわせてゆっくり歩いてくれるようになり、私のせんすをとり、あおいでいてくれた。もう死んでもよいと思った瞬間でした。お父さんがいなくなり淋しくつかれたけど、もう大丈夫です、子はいいね!!


(福岡県・K.Y/70代・男性)