七五三
長女の嫁ぎ先は都内・下町のパン製造・販売業である。
創業者の祖父母様、現・社長の両親と妹の多世帯大家族である。
付属高校の同級生からの付き合いで、高校・大学・社会人と長い付き合いだった。
妻の結婚年齢よりも遅れたのは、彼が趣味のバンド活動とデザイナーの夢を捨て切れずにいたからである。彼の甘さと我が侭を許したのは長女であった。
この辺が長女の強さである。
長女が正式に挨拶に行くと、「こんな娘さんが来てくれるのが望みだった。」と祖母様が涙ぐんだ、と言う。
長女は生来、元気で明るく可愛い顔立ちをしていた。親バカである。
長男に嫁の来る者いないと風説があるなかで、創業者は後継者の孫が家業を継いでくれると喜んだのだろう。
しかし、一旦、家業に就職した後に大学で専攻したデザインが活かせるデザイナーの会社に移籍した。
祖父様には内緒にしておいたが、披露宴で部長の挨拶で知ることになった。
長女が身ごもると祖父の敏爺さんは「俺は男子が良い。」と発言した。
五体満足で母子共に健康ならば良い、との風潮がある中で中々の御仁である。
無事男子を出産すると泣いて喜んだ、と言う。
子供は港と命名された。
婿の父である祖父がボートを持ち、海が好きなのでこの人間らしくない名前になったが、自分も漁港の生まれ育ちなので異儀はなかった。
敏爺さんは湊クンの最大のファンがあると公言した。
初宮は祖父母様の故郷の茨城県に縁が深いスサノウ命に因んだスサノウ神社であった。
端午の節句には兜の他に陣羽織が付いた最上級の物を敏爺さんが選んだ。
年末に病気療養中の祖母様が亡くなった。
入院中の敏爺には内緒にしておいたが、退院し、仏壇を見て事実を知った。
だが、事前に事情を話しておき、見舞いの時の様子で察していたらしく大きなショックはなく受け入れたと言う。
今、敏さんは湊クンの七五三までは何としても生きる事を希望に生きている。
今年の誕生日で満三歳になるので男子のかぞえ五歳までは残り一年である。
なんとか頑張って欲しいものである。
(東京都・S.S/60代・男性)