祖母のクジラ料理と母の洋食


私は1950年、大阪府堺市で生まれました。貧しいながら祖父母、両親、弟、私の6人は今日を生きるために、必死に生活し家族に一体感があり心は満たされていましが、共稼ぎの母に代わって作る祖母の料理には閉口していました。
なかでも当時安かったクジラの肉を小さく刻んで野菜と炊く料理が多くて箸が進まない時もありました。
そんな時は、母が「勇、お前は出されたもんは、文句言わずに美味しく食べんとあかんよ」と諭すので仕方なく食べましたが、気持ちは沈んでいました。
貧しさと祖母を思い出す出来事です。私が祖母の立場と母の言葉の意味を知るのは中学生になってからでした。
こんな生活ですが、月に1回程度、父に臨時収入があった時に、“洋食”と呼んでいた料理が出されました。
母から「勇、今日は洋食にするからな」と学校に行く前に言われると、もう浮き浮きして気もそぞろになります。
さてこの“洋食”とは、メリケン粉(小麦粉)にキャベツと油カスだけが入ったお好み焼きのことで、これに甘いソースを一杯掛けました。口に入れると、ソースがキャベツと良い具合に絡まって何と表現したらよいのか、歯ごたえ良く暖かさと甘さが口の中一杯に広がるのです。
それから50年、祖父母と父は鬼籍に入りましたが、私達家族は貧乏を脱出し孫の可能性は広がりました。
先日、久しぶりに実家に帰省した時、この“洋食”を作って母に振る舞うと「この洋食美味しいな。この洋食が食べられる幸せに感謝せな罰が当たるよ」と説教されてしまいました。
時間が経過しても話題の尽きない祖母の“クジラ料理”と母の作る“洋食”の思い出です。私は母の口癖である「家族あっての人生だからね。家族が無いといくら金があって美味しいもん、食べても悲しいよ」を心に留めて生活したいと思っています。食べ物の大切さと作ってくれた人への感謝を教えてくれたお婆さん、お母さんありがとうございます。


(大阪府・I.T/60代・男性)