「お姑さんと糸でつながったね」


十三才でふる里秋田を離れた姑と随分後になって知りました。

東京と浜松に生活し苦労の日々で夫の父とは三十才程違って三人目の妻で夫の実母でも夫には六人兄弟がいました。

市会議室までいらしてご苦労が多かったと思います。

色々なご事情はうちの親も知らなかったようですが、一人っ子の私で彼の父から彼がうちにと言ってくださったそうで婚約は学生時代でした。

でも卒業してすぐ亡くなってしまい、両家の父不在になってしまい、婚約はなくなりました。彼は自動車会社に、私は教師になりました。

私の母は教師で頑張っていてくれましたが、彼の母は一人暮らしになり、仕事もされて見えませんでしたから心配でした。

彼の兄達は全員離婚され他県へといらしての生活でした。

三人の妻がお産みになった兄弟でした。ご兄弟は六名でもお墓を守る方はと思うと、彼の家のお墓とうちの墓を守るのは私達しかいないと彼と一緒に思いました。

不思議です。彼のご先祖は和歌山県の湯浅出身で名古屋城へお姫様にお供していらしたと。

私は秋田の佐竹様にお仕えして、私は十七代と祖母から聞きました。大事なご先祖様方をお守りしなくっちゃ。

色々な方が色々おっしゃいますが、彼の母について何も本当のところは知りませんし、伺おうとも思いません。

ご苦労を山のようには、お察しできていました。

五黄のトラのO型でいらして全員のお嫁さん方とはお別れしていることはわかっていましたが、実家の母がお母さんは、三六五日おいでになって見えるお客様ですよ。

返事は「はい」ですよと言いました。

すべて食べる事、お風呂はお客様ですよ。

夜は鍵を開けて散歩になってからは手首をベットの上と下でヒモでのないでね出るようにもなりました。

転勤生活から戻ってからの15年は、夫と同じ部屋に眠ることなく、年に二度家族旅行に行きましたが、夫と姑と私や子供は別の号の違う部屋で休みました。

私もある時ノイローゼになってしまい、医大にお世話になった時がありましたが、医師から転勤でこの地を離れていた時、子供さんが生まれてよかったですねとおっしゃられました。

昔、全腹膜の手術で二度の手術の後、臨死体験まである私でしたが、奇跡で二人の息子に恵まれていたのです。

両家を守ってくれると思う子供が産めたから私の任務は終わりなどと勝手に思っていました。

神仏のおかげと思います。感謝しています。

どなたに聞かされてもむずかしいお姑さんでしたが、一度もお叱りやご注意なくこれました。

母の言った言葉がいつも耳の奥にあったからです。

私から姑に色々おききすることはありませんでしたが、姑が次第に小さい頃から様々な歴史をポツポツと話して下さいました。

決して聞か聞き返すことなく、全て初めて聞いたように、はいはいと聞きました。

私の先祖は秋田出身で疎開もさしてもらっているから十三歳まで秋田と分かってからお姑さんと糸が繋がりました。

対に切りません。守るぞって力がわきました。

秋田をよく知っているわけではありませんが、祖母の言葉からしょっつる焼きやじゅんさいやお料理のことが共通の思い出でした。

でも最後まで秋田の佐竹様お仕えの私は十七代等話しませんでした。

姑のご苦労の日々の事を少しでもお話が聞けて良かったと思います。

そんなに遠くなく天国で会えます。楽しみです。


(静岡県・H.Y/女性)