生きている証


もう二十年も以前のことである。実家の母が寝たきりの状態になった。
母は弟家族と同居であった。だが、実家は寺で、弟夫婦は多忙であった。 そこで、私が大阪から京都の実家へ、週二回、介護 の手伝いに通うことになった。主に、私は通院の付き添い 、昼食の用意、天気の良い日は、車椅子での散歩などを担った。

ある日、実家を訪ねると、 義妹が、「お義母さん 、あの身体でいわはるの。『何かお手伝いありませんか』って。 それで答えたの。『じっと寝ていてください』と。」と、あきれた様子で私に告げた。私は黙って、母の病室に入った。 母は義妹の言葉を忠実に守って、じっと寝ていた。 私に気づいて、「遠いところありがとう」 と微笑んだ。私が行くのを待っていたのが、母の表情から窺い知れた。母は私にも「こんな身体になっても、私で役立つことがあると思うの」と言うのだった。
私は義妹から告げられた言葉と、重ね合わせた。母は生きていることの意味を見つけたいのだろうと想像できた。 母は長年にわたり寺の雑務から檀家さんの 相談ごとにまで で携わってきた人だ。暇のない日常だった。きっと、じっと寝ているのが勿体ないと思ったにちがいない。 帰途、電車の中で母の言葉を反芻した。寝たきりになっても、何か役に立ちたいと願う母の心に胸が痛んだ。

今振り返れば、母に出来ることがあったこ とに気づく。長年の経験から得た母の知恵を借りれば良かった。母に相談事を持ち掛け、一緒に考えてもらえばよかったのだ。当時、寝たきりの母はあくまで介護される人であり、 妹や私は、母を介護する人であった。
母を同じ人として考えなかった事に後悔だ 。 また、私は常に母 の 立場ではなく、義妹の立場で、全 てを考えていたのだ。なぜ、母の気持ちを分かろうとしなかったのだろう。
母は、寝たきりになっても、生きている証を見つけたかったに違いないと今になって深く思うのだ。


(大阪府・K.S/女性)