たくさんの美味しいごはんと愛情を届けよう


祖父が旅立ち、祖母から大きな家でひとりで寝れない。と連絡があり、毎晩泊まりに行きました。
3年半の同居生活がはじまりました。ゆっくりと、それでも着実に認知症が進んだ祖母は、台風がやってくるニュースを前に、家にあるありったけの鍋を使ってお米を炊きだしました。
それはまるで、ご飯がないといざというときに逃げることもできない。と、教えてくださっているようでもあり、家族がお腹を空かせてはいけないと、気づかってくれているようでもありました。
私は、炊飯器の窯を隠したり、鍋を祖母の手の届かない高い位置に置いたり、毎日お米を買いに行く祖母に付き合っては、こっそりお会計を前に隠したりとしてきましたが、ふと気がつくと、分量も、水分量もめちゃくちゃなお米がぎっしりと鍋いっぱいに炊きあがっているのです。
そして祖母は「食べんね(食べなさい)」と、いってくれました。
私は毎回、お庭に埋めていたのですが、それから2年の月日が経ち
祖母は施設に入り
時代は流行病一色になり
家族といえど、なかなか会えないようになってしましました。

圧迫骨折を繰り返し、大腿骨まで自然に折ってしまった祖母は、お医者様から立ち上がると骨盤ごと割れるであろう。もう立つことはできないといわれてしまいました。

私はそのときに、あんなにたくさん、何度もなんども、
私にお米を食べるようにとすすめてくださったのに、どうして食べなかったんだろうと泣きました。

小さな頃からたくさん作ってくれた手料理の中で、最後のご飯だったのになあと泣きました。

ズチャズチャと水を含んだ、のりのようなご飯でも、絶対美味しかったはずなのになあ。
愛情いっぱいのご飯だったはずなのになあ。
と、庭に埋めて、食べたであろう土や蟻が羨ましくなりました。

どんな困ったことも、振り返れば愛いっぱいの思い出です。

これからも私が祖母に、たくさんの美味しいごはんと愛情を届けようと思います。


(佐賀県・S.N/女性)