母と私を繋ぐ趣味


母を93歳で骨癌で亡くしました。7月に病気が分かってから、亡くなるまで、2か月半の短い看病でした。老齢のため、体調が悪かった母のため、私は退職しました。時間もできたので、新作料理を振舞うべく、新しい料理の本を買い、楽しんでいた矢先に母が倒れてしまいました。骨癌でした。
それまで、私は病院薬剤師として、抗がん剤治療に関与していたのです。どうして母の病気に今まで気づかなかったのか、自問自答する毎日ですが、痛みが伴わなかったため発見が遅れたのです。
一般病院から大学病院のターミナル病棟へと転院し、毎日、50キロの道のりを、母の病室へと通いました。母の楽しみのため、母の趣味であった俳句を私が代わりに一日一句作ることとなりました。母はベッドの上からその句にダメ出しをするのです。途中の道すがら、大急ぎで詠んだものなので、うまくできるものではありません。今日は忘れたかしら、と思い、何も言わないと、「今日の俳句は。」と聞くのです。
高齢のため、私は覚悟をしていました、自分ではしっかりとした娘だと思っていました。しかし、葬儀もすみ、一段落しても、なかなか、自分を元に戻せませんでした。仕事に復帰する誘いを頂いても、戻る気力が湧かないのです。人の死の大きさを家族の立場で実感しました。それまでも患者様に自分は寄り添っていると思っていましたが、医療者と、家族では感じ方がこんなにも変わるのか、と思いました。
今は、母の勧めに従い句会に入り、俳句を趣味としています。母の病気についても、年齢を考えれば、抗がん剤治療をするよりは、その期間、一緒に旅行を楽しんだので、反って良かったと今は考えることができるようになりました。


(三重県・M.Y/女性)