盆帰省奈良一言神社と孫・紘一思い遣り


父の十三回忌には子供心に立派と思っていた東日本大地震で崩れた
石積みの墓域を直しておきたい、と母さんが強く願い補修をして法事を行った。
来年は早くも十七回忌を迎えるが、脳卒中で自由歩行が出来ないため長男にも関わらず
母親と共に長野で一戸建てを借りて避難民生活をしている次男夫婦と故郷に残った長女と次女に任せざるを得ない。
父さんと共に二人だけで養鶏業や海産物加工業の自営業で働いた母は足腰が強いのが自慢で内蔵疾患もないため、卒寿の急坂は必ずしも楽ではなかった。勉からトイレで倒れ、救急車で運ばれたと聞いたときは心配したが骨折はなく、打ち身だろう、との診断に安心していた。原因は水分不足で気を失ってトイレに倒れたと判った。
その後、
下血して病院に運ばれたと報告があり、兄弟みなで肝を冷やした。
前よりも大きな病院で検査の結果、肋骨が骨折していた、と判明した。痛みを訴えたために痛み止めに飲んだ薬で十二指腸潰瘍を起し下血した、と判った。
流動食もたべられないので、点滴が必要になった。
が、老人は血管が狭く固いため点滴が入らない事態であった。
従来、注射は医師だけが可能であったが、老人が多い病院では注射のベテラン看護師を雇っている。
お陰で母も危機を脱した。年齢が上がると思いもよらない原因で異変が起きるようである。
楽ではなかったが元気に卒寿の急坂を乗り越えた。鍼灸治療師の勉が一緒に住んでいてくれたので、救急車を呼ぶなどの判断が適切だったのだろう。
米寿まで生き、町で一番の長生きだった実母ツメ祖母さんなど長寿の家系なので十九回忌、二十三回忌と元気に法事を迎えて欲しい、と願っております。
先祖伝来の父さんも眠る墓、せめてお盆と命日だけは墓参りをしたい気持ち良く判ります。
大津波で家を流され、次男勉夫婦と長野で避難民生活をしている母さん。若かった母さんも卒寿を過ぎて長野から福島県いわき市まで遠出は無理でも、今年のお盆には故郷の孫・紘一君が横になれる大型車で母さんを迎えに行くと志願しております。甘える時は甘えていいですよ。母さん。
また、震災で町に打撃がなければ菩提寺の真福寺の一年上の若い今の住職が希望者を募って和歌山の熊野地の高野山をお詣する予定だった、と聞いております。本来、長男の私が墓参にお連れする必要がありますが、脳卒中の後遺症があり自由歩行が出来ません。
熊野地は父さんと歩いた道なので本来は長男の私がご案内すべきでしょうね。不肖(ふしょう)の長男榮
奈良には奈良一言神社があります。
願いを一つだけ叶えてくれる神社です。
今年は母さんが盆参り出来るように書いて手紙に書いて奉納しました。
盆に入り、長女に確認すると、故郷の孫・紘一君の思いが次男・勉に届き、鍼灸治療師をしていて日頃、母さんの身体の状態を見ていて、甥に任せるよりは自分が同行するのは一番適任と思った勉が自分の車でパーキングエリアごとに休憩を取って、故郷に連れて行ったのでしたね。
江名町の父さんも眠る先祖伝来の墓と両親が眠る生家の新妻家の父祖の地上高久村のお墓、浄日寺に墓参も出来た。
今は姪だけになったが親戚筋で特に一番信頼している長兄の長女・八重子従姉を訪問できた。
更に、子供さんなどの血縁者がないために特養ホームに入った気になっていた目が悪い竹馬の友のヤッチャンも訪問し、施設で友人も見つかり、幸福そうな様子だったことも確認出来た。
父親、つまり、紘一君の祖父さんの墓の横を車で通るたびに父さんが好きだった酒の銘柄、清酒・奥の松の一升瓶を墓石にかけてくるような祖父母さんへの思いが強い孫の紘一君の優しい強い思いが一言神社に届いた、と言えます。故郷の長女の家で休養を取り、長野に戻る予定でしたが、九月一日が父さんの命日のため、命日のお詣をして、長女絹子に連れ添ってもらい、紘一君がほぼ全面的に運転をしていわきから長野に帰ったのですね。
孫・紘一君が用意しておいてくれた横になれる大型車で年末に痛めた腰に負担が掛らない状態で家族に囲まれて移動出来た。
紘一君が母さん、祖母さんに対する思いが一言神社に通じ、満願でしたね。


(東京都・S.S/60代・男性)