子供達への手紙


私は死後医学研究に献体するため、白菊会に登録するので了承してほしいと思います。
あなた達の祖母である母の遺体を大学に献体した事は記憶にも新しいことだと思います。あなたたちにとっては突然のように思えたかもしれませんが、母が健康な時から、白菊会への登録は済ませており、事前に処置を依頼されていました。
しかし母が健康な当時は、そのことを深く考えることもありませんでしたが、母が病に伏し、明日も知れない生命になった時、改めて私の心に重くのし掛かってきたのは母の献体問題でした。
世間一般の葬儀を執り行うこともなく、母の遺体を研究のために供することに耐えきれぬ思いがしました。周囲から受けるような批判や中傷にも無関心ではいられませんでした。
なぜ母が献体しようとしたのか『人一倍長生きさせてもらって、多くの人のお世話になったか恩返しに、医学研究に役立ててほしい』と母の言葉を疑う気持ちはありません。本当にそれだけの思いで献体に踏み切ったのか、深い思いとして私の心に残りました。
生前の母も言っていましたが、死後の世界が存在するのか否か分かりません。しかし、最近は人は1人では生きていけない。大自然の恵みを多くの人のお世話になって生かされていることを実感するようになりました。私の眠っている間も、空気は片時も途絶えた事はありません。春がくれは、自然が芽吹き、花が咲き、秋が過ぎれば木の葉を生いる。大自然の摂理の偉大さと、自然に胸打たれる思いに陥ることが多くなりました。
人の死も周囲の樹木と同様に、枯れ落ちて大自然の土に帰るのじゃないかと思うようになりました。その枯れ木1種である老体が若木の成長のために研究の一助になるものが献体と思えば、こんなに嬉しい事はありません。母の思いもまた同様であったのかと思えてきました。
私も母と同様に献体登録しますが、母の献体にあたり私が抱いた思いは、あなた方は抱かないでほしいと思います。
考えてみれば、献体と言う行為は去り行く人と残された家族との強い絆があって初めて可能な行為だと思います。
白菊会発行の機関紙にも次のような文書があります
『献体は強制を伴うものではなく、亡くなられても、ご遺族からの通報がない場合が多く、折角、献体登録されても、その意思が達成できない場合が多い–(中略)–献体と言う行為は自分1人だけでは達成できない。生前どんなに固い意志を持ってこられてもその意思を尊重し協力される方がなくては、検体は完結できない–」
私はあなた達と強い絆の存在を信じております。
長寿社会とは言われてますが喜寿を過ぎされば、1日1日が死への道です。
私が亡くなれば、迷うことなく大学に連絡して遺体を研究用に供してください。
繰り返しますが、これは全く私の意思であり、希望なのです。その意思を実現してもらう事は、私への最大への孝養であり葬儀なのです。
あなた達に残してあげるものはありませんが先祖から受け継いでだ血脈は連綿としております。大いなる自然と先祖への感謝の心を忘れない伝統は立派にあなた達の心に息づいていることを信じています。


(大阪府・M.F/70代・男性)