「高齢格差」が男性の方が大きい理由


日頃自分の周辺を観察していて、男社会の日本の会社で肩で風を切っていた男性ほど、定年後の身の処し方に弱いものだと、痛感します。

まず近隣の街の中が一番いい例でしょう。その方がどんなお偉い方だったかは知らないけれど、近所の方ですから、「おはようございます」とこちらは挨拶をします。すると、返ってくる答えが、「うん」と軽く顎をしゃくっただけで、「おはようございます」という言葉が返ってきません。

会社で「部長」とか「専務」、「社長」というように、肩書きで呼ばれていたときの自己表現のしかたが、肩書きがなくなった町内の一高齢者になっても同じように出てしまうのでしょう。ここで笑顔で、「やあ、おはようさん」とか、「暑いですね」、「寒いですね」などと一声かけられたら、「さすがあの方は会社で実績をあげていた方だけあって人格が違う」などと町内でも評判が上がるはずです。

でも、威張っていた習慣はなかなか抜けないので、会社やロータリーやライオンズなどでの肩書きのないただ1人の人間となった場合、なかなか男性は態度の切り替えが難しいのでしょう。

旅行先だって同じことです。電車の旅や海外旅行などで女性同士のグループがニコニコと楽しそうに話をしながら食事をしている場面をよく見るでしょう。まるでずっと友達だったように見えます。でも、このツアーで初めて友達になったのだという例がけっこうあります。女同士だと、一、二度話をするとすっかり打ち解けて、フラットなコミュニケーションが取れるのでしょう。はやい話が、女性はよくしゃべります。

男性も会社やさまざまな組織を離れて肩書きがなくなったら、自分の方からにこやかに微笑みかけ、言葉を発信していく方がいまの日本の状況の中で心安らかに生きていけるはずです。

高齢格差は経済の問題だけではなく、友達が多いか少ないか、会話が多いか少ないか、楽しみが多いか少ないかなど、さまざまな条件によってどんどん落差が大きくなります。男性は今までの会社人間としての自己表現をここで切り替えましょう。


出典:佐藤綾子 著「介護も高齢もこわくない」