人の痛みがわかる「共感力」は財産


心理学的に言えば、「共感(empathy)」は、「同情(sympathy)」とはちょっと違う代物です。

だいぶ前に、「同情するなら金をくれ」と言う変な言葉が流行りました。ただ言葉だけで「大変ですね」、「お気の毒ですね」、「頑張ってください」、「ドンマイ」などと簡単に同情の言葉を発することは誰でもできることです。だから、そんな上っつらな言葉よりもお金をもらったほうがいい、というホンネです。

でも、共感はそれとはちょっと違います。今、相手が置かれている同じ立場に自分の気持ちを置いてみて、この人がこの場面でどう感じているかと自分もまた感じてみる力が共感力です。

例えば、ちょっと話を聞いて話途中で、「それはまた御愁傷様でした」とか、「大変でしたね」などと早く言葉を出してしまうと、本当に共感してもらえたと相手が感じることができません。

じっくり人の心の苦しみや悩みや痛みを理解して味わい、その上で、「それは大変でしたね」と一言かけ、必要な援助行動はしてあげる。実はこの力こそ高齢者の大きな力でしょう。人生の中で辛い体験、痛い体験、寂しいこと、ままならぬこと、苦しいこと、裏切り、期待外れなどいろいろ経験してきているので、人の痛みの話を聞いたときに、「ああ、きっとこういうことだろう」と場面をイメージしやすいからです。

そこで、心のこもった共感の言葉が、スピイードは遅いけれど、素朴に口から出てきます。「なかなか苦労したんだね」、「時間が経てばなんとかなることだよ」、「例えば私もこんなことがあったんだ」という具合です。

人の痛みがわかる共感力こそ、高齢者の持つ大きな力です。第一、若い人は忙しくて、今仕事中なのでしっかり話を聞いてやることもできず、メールのやり取りも「いいね」と「ちがう」があれば全部終わりという具合です。

高齢者はメールで「いいね」を打ち返すことは下手でも、面と向かっている相手からしっかりと話を聞くことができます。そこが高齢者の共感力という財産に違いありません。


出典:佐藤綾子 著「介護も高齢もこわくない」