情理を尽くす
私は20代半ばごろ、自宅で祖母の介護をしていた。22 歳のとき大学を出て就職したが、一年半ほどで退職し、アルバイトをしていた。しかし、それも短期間でやめていた。母が働いていたため、家にいる私が祖母の介護をすることになった。祖母は91歳で他界した。亡くなるまでの約2年間、私がそばについて一緒に過ごした。
祖母は、家の中で転倒して足を骨折したときから、自分の足で立って歩くことはその後なかった。また、認知症の症状がまだらに現れていて、「実家に帰りたい」とよく言っていた。性格は内気な人で、積極的に人と話すタイプではなかった。しかし、デイサービスを利用する中では、職員の方とお別れするときに 目を合わせて握手するなど穏やかな姿が見られた。入浴サービスでも、体を撫でて洗ってもらうのがとても気持ちよいらしく、終始リラックスした表情をしていた。こうしたサービスで、人との関わりが持てるのはとても大切なことだと思った。
祖母は、自分の思うことを正直に言うところがあり、初めての介護で右往左往している私を、母と比較して「あんたとは合わない」と突き放したことがあった。そう言ったかと思うと、「朋ちゃんみたいな子がそばにいてくれたら、楽しい」と笑ってくれたりもした。私が、ポータブルトイレの便の後始末を初めてしたときは、「手を洗ったか?ごめんな」と気遣ってくれた。今から思えば、気ままなところもあったが、しっかりした人だったと思う。
私は、祖母の言葉で忘れられないものがある。それは「あんたは難しいことば かり言って、頭が悪い」という言葉だ。私は曲がりなりにも大学を出て、部屋 の本棚にはたくさん本が並んでいて図書館に行くことも好きだった。勉強することが苦ではなかった。しかし祖母にとって、介護しようとする私はどこかで学習した通りに動くロボットのように見えたのかもしれない。当時祖母のそば に一日中いた私は、祖母のかゆいところに手が届くような、祖母の思いに寄り 添った介護の仕方を追求すべきだったと思う。そのためには、本などで得た知識だけではなく、日々の経験の蓄積から祖母の思いを知ることが大切だったと 思う。
私は、仕事は「情理を尽くす」ことが大切だと思う。人情をもって温かい気持 ちで相手に寄り添いながら、経験や知識による冷静な判断で臨機応変に対応することが求められると思う。祖母の介護を経験することにより、私は人をお世話するときの極意を教えてもらった気がする。現在、3歳の息子の育児や家事に奮闘している私は、これを生かして丁寧な気持ちで家族を大切にしていきたいと思う。
(京都府・T.F/女性)