みんなの未来は「高齢格差」縮小から


痛ましい事件がいっぱいあります。街を歩けば杖をつく人が増え、さらに収入も少なかったりすると、居住地自体に差がついてきます。

昨今、貧困層の高齢者が住んでいるアパートがいくつも火災になり、その度に逃げ遅れたという人の名前と年齢が明らかにされるのを見ると、本当に胸が痛みます。高速道路の逆進だとか、スーパーの駐車場に車を突っ込んでしまったとか、どうも高齢になるとともに、動体視力が落ちたり、判断力が落ちたり、さらには経済力も落ちる人がいたりして、このような社会的な高齢弱者が誕生する仕組みになっているのだと思います。

数年前出張先のパリでふと入ったレストランで、高齢夫婦の両方共が車椅子で、上手に操作しながら街のレストランに入ってきた時の光景を思い出します。

ウェイターはもちろん、そこにいた別のお客さんの何人かがサッと立ち上がり、この2台の車椅子を上手にテーブルまで誘導しました。ごく自然で、「どうぞこちらに」、「ありがとう」という感じで、誰もそれが負担だと思っている様子もありません。

実はこのレストランに入ったのは、私の友人の奥さんがやはり車椅子で、このご夫婦に招待されて行ったのでした。高齢者やハンディキャップのある人にごく自然に手を貸すという習慣がパリの街ではっきりと日常化していることに感動しました。

東京に帰ってくると、なかなかこんな光景に出会えません。高齢で、大きなスーツケースを階段で動かしにくい人や車椅子の方たちに自然に手を貸したり言葉をかける習慣が、どうも東京の方がパリよりも少ないように実感するのです。読者の身のまわりではどうでしょうか。

しかも、社会的に大きな問題があります。医師をしている友人たちがこぞって言うことがあります。先発品より値段の安い「ジェネリック」についての話です。働き盛りで保険料を払っている人々は、薬を頼むときに「ジェネリックでいいです」となるべく薬代を削ろうとという意識がある一方で、高齢者で保険の負担金が20%とか10%になっている人の方が、薬代には気を使わないという話です。これは高齢者側にも意識改革が必要だと思うエピソードではありませんか。

もちろん全員がそんなことではないでしょう。けれども、これもまた、社会構造上、大きな課題だと私は思います。

加齢とともにワーキングプアになったり、保険料が払えなかったり、路上の高齢のホームレスが増えれば増えるほど、それを見ている私たちの心はズキズキと痛みます。

 

今自分は若いから大丈夫だと安穏としている人々にもやがて経済的負担がかかってきます。まずは若者も高齢者もそろって、高齢になってからの社会格差を縮めるように意識や行動を変えていく必要がありそうです。


出典:佐藤綾子著「介護も高齢もこわくない」