「高齢力」って何?


忘年会や新年会などさまざまな席にいくと、誰が上座に座るのかがけっこう問題になります。うまく偉い人が上座に座ればいいけれど、たまたま新人社員や若い人が上座に座ってしまうと、「諸先輩を差し置いてこんなところに座ってすみません」などと言います。

 あるいは、結婚式や何かの周年行事のスピーチでも同じことがいえるでしょう。スピーチの順番が若い人になってしまうと、おこでまた、諸先輩を差し置いて若輩の私のスピーチで失礼いたします」と言います。これは一体何を意味しているのでしょうか。

 以前、中根千枝さんが『タテ社会の人間関係』および『タテ社会の力学』という2冊の本を書いて、「タテ社会」という言葉が日本の社会学上、大きな旋風を巻き起こしました。

 タテ社会とは簡単に言えば、会社に先に入った人が偉い、同じようにこの世に先に生まれた人が偉い、つまり先着順ということです。そうすると、高齢になって若者よりも年が上ならば、それだけで偉いということになります。

 でも、そんな年齢順の判断ではなくて、若者にはないけれど、高齢者にはよりたくさんある素晴らしい力をここでは「高齢力」と命名します。この高齢力は、先に書いた先着順のほかに、少なくとも三つの大きな能力を含むものだと私は考えています。

 第一は、「人間を統合する力」。昨今、「あの会議であの決定が通ったのは、上司の気持ちを忖度(そんたく)したからですよ」などと言って、「忖度」という単語が今年の流行語になるのではないかというぐらい流行っています。

 忖度とは、はっきり明文化されているわけではないけれども、相手の気持ちを推し量ることです。人生経験が長ければ長いほど、目の前の相手の言葉の裏読みができます。人生全体を統合(integrate)して、「本当はこの人は何を言いたいのか」、あるいは、「この事件は根本的にはこんな原因がある」というように類推をしていくわけですが、この忖度する力は高齢力の最たるものでしょう。

 第二は、「はぐくむ力」です。「育む」という字のほかに「羽包む」という文字があります。羽で包んだりして若い者を育てていく。こんな育てる力も高齢力の特徴でしょう。自分が若くて育ち盛りであれば、まだ自分が育っていくことに精一杯で、人を育てるところまでは手が回りません。

 第三は、「判断力と言語」。これはセットで一つの力と考えていいでしょう。例えば今、AIで脚光を浴びている「Ponanza」の筆者である山本一成さんは、その著書の中で、「何だってAIのほうが優れている世の中が近く来る。でも、人間に残されたのは、言葉と論理しかないんじゃないかな」と述べておられます。言葉と論理というのはいずれも、今、目の前で起きていることを正か悪か、善いことか悪いことかと論理的に判断し、そして、それを言語化する力です。

 山本さんが「言葉と論理」と言っているのは結局、判断力とそれを言語で表す力です。これまた高齢力。若者よりも高齢力に軍配が上がるでしょう。判断材料になる事例が年齢の分だけ多いのですから。

 ボキャブラリーも同様。そもそも「忖度」などという言葉は、なかなか若い方々は使えない単語です。語彙が増え、今どの単語を使うのが正解かと考えることができ、物事の道筋が判断できる。この統合的な判断力、あるいは論理性は、まさに高齢力の売りだと思われます。

 そう考えたら、年をとるってそんなに悪いものじゃないと思いませんか。むしろ、昔より今のほうが増し加わっている力だと高齢者は胸をはりましょう。


出典:佐藤綾子著 介護も高齢もこわくない