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父 – 家族をつなぐきずな倶楽部 http://kazoku-kizuna.jp Mon, 23 Jan 2023 04:03:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.25 148687284 介護のイメージを変えてくれた父へ http://kazoku-kizuna.jp/2021/04/05/%e4%bb%8b%e8%ad%b7%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%83%a1%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%82%92%e5%a4%89%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e7%88%b6%e3%81%b8/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/04/05/%e4%bb%8b%e8%ad%b7%e3%81%ae%e3%82%a4%e3%83%a1%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%82%92%e5%a4%89%e3%81%88%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e7%88%b6%e3%81%b8/#respond Mon, 05 Apr 2021 03:00:26 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9512 「病人様」父は自分をそう呼び、我儘ないばりんぼうだ。先に倒れた父は「病人様」となり、倒れはぐった母は、召使いとなってしまった。「こっちが病気になっちゃうよ!」と深くため息をつく母。高齢者同士の老老介護の、これがリアルな現実だ。
父は、末期癌と言われ、本人も、家族も「余命は月単位です」と宣告された。 1カ月入院した父が、自宅に戻って来たその日から、私たちの「初めての介護」は始まった。右も左もさっぱりわからず、そりゃあもう家族全員ドタバタ。「そっかまず介護申請するのか」。ケアマネージャーさん、ヘルパーさん、手すりをつけたり、介護ベッド借りたり。「ヒェーこんなに色々あるの?」次々の打ち合わせや、契約、書類の山で、もう高齢の母は大パニックだ。初めての介護食、大人用オムツ、便秘、腰痛、頻尿。いっぱいいっぱいの私たちに追い討ちをかけるような、父の頻尿。まるで「トイレに行く事」が仕事みたいで、しかも困った事に、何故か夜になると、それは30分ごとになる。トイレの付き添いに、母はすっかり疲弊し、夜は私が付き添うことにした。 危なっかしい起き方、トイレまでは山登りみたいで一歩が長い。便座に座る時、ベッドに戻るとき、慎重に膝をガクガクしながら座る。まるで命がけのトイレ。かなり体力も消耗するはずなのに、父は自分で行きたかった!どうしても、自力で行きたかった。力を振り絞る姿は、時に煌々しくさえ思えた。真夜中に、そんな父の後姿を私は何度も見た。「諦めない姿」。なんと、父は自分のトイレの時間を全て記憶していた。そして、「ここに掴める物があれば、1人で行けるかもしれないな」とか、ぶつぶつ独り言を呟いていた。病気になって出来ないことだらけなのに、1人で出来る事を常に探している。 「トイレはまだ俺は1人で行けるんだ!」頑固に威張って、ホント嫌になっちゃうけれど、カッコいい。排泄という最後のお仕事で、私たちに生き様を見せつけているかのようだ。
そんな父の姿は、私達の「介護」に対するイメージを変えてくれた。かつての私達は何も知らずその凝り固まった偏見から「介護って大変そう」「下のお世話なんて無理」「個々の生活が成り立たなくなっちゃうよ!」と言って、出来れば関わりたくなかった。でも、やってみたら「介護って辛さより、喜びや感動の方が案外多い!」と気づくことが出来た。父の「自分でやる!諦めない姿!」にも私たちは逆にパワーをもらう。何より、疎遠だった一族が集まったり協力し、話し合い、父を囲んで笑顔が増えた。 介護の輪が、日進月歩大きく成長している事も知り、私たちの不安はいつの間にか安心に変わっていた。全てを家族だけでなんとかしなくても、沢山の支援や介護の温かい手も借りて、今は、父を穏やかに見守っている!
だから「おとうちゃん、まだまだ元気を続けよう。そして、1人で出来る事、また一緒に探そうね。」


(兵庫県・T.S/男性)

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父と息子の絆 http://kazoku-kizuna.jp/2021/04/02/%e7%88%b6%e3%81%a8%e6%81%af%e5%ad%90%e3%81%ae%e7%b5%86/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/04/02/%e7%88%b6%e3%81%a8%e6%81%af%e5%ad%90%e3%81%ae%e7%b5%86/#respond Fri, 02 Apr 2021 02:00:18 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9457 療養病院がコロナで面会停止になって以来、父の顔を何か月も見ていない。九十六、脳梗塞で倒れて入院。一度は家で療養するまで回復したが、再発でどうしようもなくなった。顔を合わせても反応は鈍くなる一方だが、顔が見えないと寂しくてたまらない。
車いすに乗せられた父がボロボロ涙を流したのは最初の入院時。数日前まで何不自由なく過ごしていたのが、いきなり言葉も体もままならなくなったのが、悔しいと訴えかけているのが、不思議にも分かった。父と息子の絆がなせるワザだったのかも知れなかった。
自宅に戻った父は、不自由な体と言葉ながら目を輝かせてみせた。家族を大事に考える父の本領発揮だった。しかしすぐ再発した。
転院を重ねた父はベッドに寝た切り状態だが、「親父元気か?俺息子の〇〇やぞ」と声をかけてやれば必ず目が反応してくれる。生真面目で律儀な性格を引き継いでいる息子へ、最後まで何かを伝えたいかのように。


(兵庫県・T.S/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/04/02/%e7%88%b6%e3%81%a8%e6%81%af%e5%ad%90%e3%81%ae%e7%b5%86/feed/ 0 9457
愛言葉 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/26/%e6%84%9b%e8%a8%80%e8%91%89/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/26/%e6%84%9b%e8%a8%80%e8%91%89/#respond Fri, 26 Mar 2021 02:00:53 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9379 改めて申すまでもなく『介護はゴールの見えないマラソン』です。マラソンが得意の方は何の苦もなくマイペースをキープして走りぬくことも可能でしょうが、その山あり谷ありの道のりを完走できる人ばかりではなく、やむを得ず途中でリタイアーする方もあると思います。
私の姉がその一人でした。姉は自らの父を全力介護し九十歳で看取り、嫁ぎ先の母を百歳で亡くなるまで介護、そして実家の母が九十五歳の時、一足先に七十歳で大動脈乖離という病で急逝しました。幸いにも母は認知症が進行し息子と孫の区別がつかない状況でしたので、姉の死は知らせずに済みました。姉は親三人の介護に誰よりも尽力し、自らは誰にも介護されることなく旅立ったのです。介護には『愛言葉』が必要です。
私たち姉弟四人のそれは、亡くなった姉が提唱した『母が父の元に旅立つ日が私たち姉弟の恩返しの終わる日』でした。父が彼岸に向かって八年、私たちはその愛言葉に支えられ何とか介護を全うできました。亡き父の口癖は「俺と妻は家が貧しかったから、尋常しか行けなかったが、子供達には大学へ行かせたい。金は使えば無くなるから残さない。頭は使えば使うほど良くなるから教育だけは与えたい」でした。両親は無一文から汗と涙で自らの身体を切り刻んで働き、財産を築き、父が道楽に溺れてからは、母が欲しい物も求めず孤軍奮闘して私たち四人を大学に送ってくれました。母は施設入居を拒み続け、九十七歳で老衰するまで、在宅の介護を望みました。
私たちは交代で母の元に泊まり込み、不眠不休で頑張りました。母の口癖は「借金の無い暮らしがしてみたい」でした。私たちが社会に出て、母の望みは叶いましたが、その数年後、母は脳梗塞で倒れ右半身が麻痺しました。それでも母は涙を流しながらリハビリに励み、何とか自分で歩けるようになり、父が亡くなるまで懸命に父の面倒を見ました。
父に尽くし、子に尽くす人生を全うした母。母は子供の顔は忘れても介護してくれる人に「ありがとう」の一言は忘れないでくれました。これが苦労人の母の愛言葉でした。志半ばで旅立った姉と母の愛言葉、そして赤ちゃんの様な母の笑顔が私たちの長くせつない介護の日々を暖かく支えてくれたことに、私は心から感謝しています。


(大阪府・M.T/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/26/%e6%84%9b%e8%a8%80%e8%91%89/feed/ 0 9379
お父さんの精神介護 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/22/%e3%81%8a%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%bb%8b%e8%ad%b7/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/22/%e3%81%8a%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%bb%8b%e8%ad%b7/#respond Mon, 22 Mar 2021 02:00:06 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9374 僕は肉体介護は、大してしていないが、十年ほど前から、認知症のお父さんに対し、精神介護をしてきた。例えば認知症で知的能力も、意志の力も衰えたお父さんに、お母さんはそれをサボっているとか、悪いことをしているんやと思い込んで、口によって激しく批判、非難して、振り回した。それに対し、喩えそれがお父さんの方が間違ったことを言い、お母さんの方が筋の通ったことを言っていても、いつも口でやり込められるのはお父さんなのでかわいそうに思い、お父さんの側にたち、助けてやった。だから今でもそういう苦しそうに話をまとめようとし、自分が口で勝つことより、家族が円満になればそれで良いとする姿を思い出すと、涙を禁じ得ない。だからといってお母さんが悪いわけでなく、お母さんの頑張りがなかったらうちの家はないことも確かだ。
しかしお父さんを認知症に追い込んだのはお母さんのマシンガンのような口の攻撃によるところが大きいと思う。
お父さん、お母さんの問題点を言ったが、お父さん、お母さんをここまで追い込んだのも、僕がやらかしてきた様々な問題がお父さん、お母さんの間の事情に影を落としたのだと思う。
それだから今度は僕が力を振り絞ってお父さん、お母さんを助けてやらねばならないと思う。某宗教団体に入る僕は、お父さんとお母さんを成仏(この世に執着を残さず、仏となること)させる。それが僕の願いであり、祈りである。


(大阪府・M.T/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/22/%e3%81%8a%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%bb%8b%e8%ad%b7/feed/ 0 9374
本当の心の絆 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/15/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b5%86/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/15/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b5%86/#respond Mon, 15 Mar 2021 03:00:14 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9326 両親の衰えは突然やってきた。今考えれば兆候はいくつもあったのだが、加齢によるものだろうと思っていた。気が付いた時には、母の心は完全に壊れていた。
父は慌てふためくばかりであった。私は、そんな父を叱咤し、心の中では施設と懐事情を考えていた。しかし考えはまとまるはずもなく、結局は仕事に逃げた。妻は「どちらかが健在なうちは、まだ私の出番ではない」と言い、私は目の前が真っ暗になった。「そんな殺生な」
しかし、妻の真意は別なところにあった。むしろ、私よりはるかに両親のことをわかっていた。男勝りで常に父をリードしていた母であったが、実は夫を頼りにしたかったのだ。逆に父は母に頼り切りの人生だった。この機会を逃したら、二人が夫婦として向き合うことのないまま終わってしまう。だから父に「母の夫」になってほしい。
私はもちろんのこと、子供たちも妻の思いに協力して、父を立てるように動いた。母の心は壊れたままであったし、最後まで、母は父に夫としての合格点を出せる状況にはならなかったが、息子の私の目から見て0点だったものが50点くらいにはなったように思う。
妻と子供には本当に頭が下がる思いだ。ケアマネさん、デイケアの施設その他多くの方のご助力にも感謝しかないが、母の介護を通じ、私たちは家族として本当の心の絆を得たように感じている。


(埼玉県・M.K/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/15/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b5%86/feed/ 0 9326
自宅で死ぬということ 父編・母編 http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/22/%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e7%88%b6%e7%b7%a8%e3%83%bb%e6%af%8d%e7%b7%a8/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/22/%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e7%88%b6%e7%b7%a8%e3%83%bb%e6%af%8d%e7%b7%a8/#respond Mon, 22 Feb 2021 02:00:50 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9163 私の両親は、既に他界しています。父は八十八歳で、母は九十二歳で旅立ちました。「百歳まで生きる」というのが二人の口癖でしたから、さぞ無念だったことでしょう。今は「人生百年時代」となりましたが、戦争をくぐり抜けてきた人達だからでしょうか、「長生き」には特別の思い入れがあったようでした。  実家は信州の安曇野で、目前には険しい北アルプスがそびえ、周囲には田んぼや、麦、蕎麦畑が広がり、未だ日本の原風景が残存しています。青い空に白い雲、山また山の時間が止まったよう所です。晩年になってようやく、家の前を通る地域のコミュティーバスが日に四便往復開通しました。それ以前は、市から年間十枚程度のタクシー券が配布されましたが、市街まで行くだけでも、タクシーを呼ぶと往復五千円かかりました。親子三代で同居し一人一台の軽自動車の家々に埋もれて、私の両親のように車もバイクも持たない高齢者もいたのです。マイカーを持つ人や、都心在住の人には想像もできないでしょう。 そんな田舎で生まれ育った私は、バスや電車を待つ時間が、人生の無駄のように思え、横浜の大学に進学し、そのまま就職、結婚し、子どもたちも地元の学校に入学すると、なかなかUターンできなくなりました。夫も同郷の出身でしたので、週末帰省することが何よりの双方の親孝行でした。今まで何度、中央道を往復したのでしょう。小仏トンネルや相模湖周辺道路の渋滞は激しく、命の危険を感じた台風にも二度遭遇したことがありました。このように休日は実家の往復でしたので、家族旅行にはほとんど出かけたことがありません。両親は「無理せず来なくてもいい」とは言いませんでした。 勤続四十年で退職した今も、実家の草刈りや家のメンテナンスで、月に一度は帰省しています。ひと雨ごとに暴力的に伸びる草や、油断すると庭木もすぐに森になってしまいます。税金もダブルでかかりますし、冬期は極寒です。でも風光明媚で、夏は涼しく、畑では無農薬の野菜が採れます。体力、気力の続く限りは、実家の往復を続けようと思います。 今回の企画を機に、晩年の両親との関わりを振り返ってみたいと思います。


(東京都・H.O /女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/22/%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e7%88%b6%e7%b7%a8%e3%83%bb%e6%af%8d%e7%b7%a8/feed/ 0 9163