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母 – 家族をつなぐきずな倶楽部 http://kazoku-kizuna.jp Mon, 23 Jan 2023 04:03:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.25 148687284 母の生き方 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/29/%e6%af%8d%e3%81%ae%e7%94%9f%e3%81%8d%e6%96%b9/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/29/%e6%af%8d%e3%81%ae%e7%94%9f%e3%81%8d%e6%96%b9/#respond Mon, 29 Mar 2021 02:00:15 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9456 顔に不快感を覚え、鏡を覗き込んだ。すると近づかなければ見えない程の髪の毛が1本、張り付いていた。私はそれを摘むと、ふと、母のことを思い出した。「こんな簡単な動作でさえ、母にはできなかったのだ」と。
母が突然、救急車で運ばれた。《筋萎縮性側索硬化症(ALS)》だった。入院中、母はいつも枕の位置を気にしており、直しても直しても、”出せない声”で「ま・く・ら」と家族に要求した。当時は「単なるわがまま」と思い込み、心ない態度を取ってしまったこともあったが、そんな時でさえ、母は決して感情的にならなかった。いや、むしろ、病室を訪れる度に「い・い・子」、「あ・り・が・と・う」と、私を癒してくれた母に、今は感謝している。
時として、感情のままに動いてしまうこともあるが、やはり、「いつも、どんな状況下でも、平常心でいる」という事は、あらゆる場面で大事なんだと、母の生き様から学んだ。


(群馬県・K.K/女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/29/%e6%af%8d%e3%81%ae%e7%94%9f%e3%81%8d%e6%96%b9/feed/ 0 9456
愛言葉 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/26/%e6%84%9b%e8%a8%80%e8%91%89/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/26/%e6%84%9b%e8%a8%80%e8%91%89/#respond Fri, 26 Mar 2021 02:00:53 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9379 改めて申すまでもなく『介護はゴールの見えないマラソン』です。マラソンが得意の方は何の苦もなくマイペースをキープして走りぬくことも可能でしょうが、その山あり谷ありの道のりを完走できる人ばかりではなく、やむを得ず途中でリタイアーする方もあると思います。
私の姉がその一人でした。姉は自らの父を全力介護し九十歳で看取り、嫁ぎ先の母を百歳で亡くなるまで介護、そして実家の母が九十五歳の時、一足先に七十歳で大動脈乖離という病で急逝しました。幸いにも母は認知症が進行し息子と孫の区別がつかない状況でしたので、姉の死は知らせずに済みました。姉は親三人の介護に誰よりも尽力し、自らは誰にも介護されることなく旅立ったのです。介護には『愛言葉』が必要です。
私たち姉弟四人のそれは、亡くなった姉が提唱した『母が父の元に旅立つ日が私たち姉弟の恩返しの終わる日』でした。父が彼岸に向かって八年、私たちはその愛言葉に支えられ何とか介護を全うできました。亡き父の口癖は「俺と妻は家が貧しかったから、尋常しか行けなかったが、子供達には大学へ行かせたい。金は使えば無くなるから残さない。頭は使えば使うほど良くなるから教育だけは与えたい」でした。両親は無一文から汗と涙で自らの身体を切り刻んで働き、財産を築き、父が道楽に溺れてからは、母が欲しい物も求めず孤軍奮闘して私たち四人を大学に送ってくれました。母は施設入居を拒み続け、九十七歳で老衰するまで、在宅の介護を望みました。
私たちは交代で母の元に泊まり込み、不眠不休で頑張りました。母の口癖は「借金の無い暮らしがしてみたい」でした。私たちが社会に出て、母の望みは叶いましたが、その数年後、母は脳梗塞で倒れ右半身が麻痺しました。それでも母は涙を流しながらリハビリに励み、何とか自分で歩けるようになり、父が亡くなるまで懸命に父の面倒を見ました。
父に尽くし、子に尽くす人生を全うした母。母は子供の顔は忘れても介護してくれる人に「ありがとう」の一言は忘れないでくれました。これが苦労人の母の愛言葉でした。志半ばで旅立った姉と母の愛言葉、そして赤ちゃんの様な母の笑顔が私たちの長くせつない介護の日々を暖かく支えてくれたことに、私は心から感謝しています。


(大阪府・M.T/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/26/%e6%84%9b%e8%a8%80%e8%91%89/feed/ 0 9379
お父さんの精神介護 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/22/%e3%81%8a%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%bb%8b%e8%ad%b7/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/22/%e3%81%8a%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%bb%8b%e8%ad%b7/#respond Mon, 22 Mar 2021 02:00:06 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9374 僕は肉体介護は、大してしていないが、十年ほど前から、認知症のお父さんに対し、精神介護をしてきた。例えば認知症で知的能力も、意志の力も衰えたお父さんに、お母さんはそれをサボっているとか、悪いことをしているんやと思い込んで、口によって激しく批判、非難して、振り回した。それに対し、喩えそれがお父さんの方が間違ったことを言い、お母さんの方が筋の通ったことを言っていても、いつも口でやり込められるのはお父さんなのでかわいそうに思い、お父さんの側にたち、助けてやった。だから今でもそういう苦しそうに話をまとめようとし、自分が口で勝つことより、家族が円満になればそれで良いとする姿を思い出すと、涙を禁じ得ない。だからといってお母さんが悪いわけでなく、お母さんの頑張りがなかったらうちの家はないことも確かだ。
しかしお父さんを認知症に追い込んだのはお母さんのマシンガンのような口の攻撃によるところが大きいと思う。
お父さん、お母さんの問題点を言ったが、お父さん、お母さんをここまで追い込んだのも、僕がやらかしてきた様々な問題がお父さん、お母さんの間の事情に影を落としたのだと思う。
それだから今度は僕が力を振り絞ってお父さん、お母さんを助けてやらねばならないと思う。某宗教団体に入る僕は、お父さんとお母さんを成仏(この世に執着を残さず、仏となること)させる。それが僕の願いであり、祈りである。


(大阪府・M.T/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/22/%e3%81%8a%e7%88%b6%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%bb%8b%e8%ad%b7/feed/ 0 9374
本当の心の絆 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/15/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b5%86/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/15/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b5%86/#respond Mon, 15 Mar 2021 03:00:14 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9326 両親の衰えは突然やってきた。今考えれば兆候はいくつもあったのだが、加齢によるものだろうと思っていた。気が付いた時には、母の心は完全に壊れていた。
父は慌てふためくばかりであった。私は、そんな父を叱咤し、心の中では施設と懐事情を考えていた。しかし考えはまとまるはずもなく、結局は仕事に逃げた。妻は「どちらかが健在なうちは、まだ私の出番ではない」と言い、私は目の前が真っ暗になった。「そんな殺生な」
しかし、妻の真意は別なところにあった。むしろ、私よりはるかに両親のことをわかっていた。男勝りで常に父をリードしていた母であったが、実は夫を頼りにしたかったのだ。逆に父は母に頼り切りの人生だった。この機会を逃したら、二人が夫婦として向き合うことのないまま終わってしまう。だから父に「母の夫」になってほしい。
私はもちろんのこと、子供たちも妻の思いに協力して、父を立てるように動いた。母の心は壊れたままであったし、最後まで、母は父に夫としての合格点を出せる状況にはならなかったが、息子の私の目から見て0点だったものが50点くらいにはなったように思う。
妻と子供には本当に頭が下がる思いだ。ケアマネさん、デイケアの施設その他多くの方のご助力にも感謝しかないが、母の介護を通じ、私たちは家族として本当の心の絆を得たように感じている。


(埼玉県・M.K/男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/15/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ae%e5%bf%83%e3%81%ae%e7%b5%86/feed/ 0 9326
母と私を繋ぐ趣味 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/05/9243/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/05/9243/#respond Fri, 05 Mar 2021 02:00:16 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9243 母を93歳で骨癌で亡くしました。7月に病気が分かってから、亡くなるまで、2か月半の短い看病でした。老齢のため、体調が悪かった母のため、私は退職しました。時間もできたので、新作料理を振舞うべく、新しい料理の本を買い、楽しんでいた矢先に母が倒れてしまいました。骨癌でした。
それまで、私は病院薬剤師として、抗がん剤治療に関与していたのです。どうして母の病気に今まで気づかなかったのか、自問自答する毎日ですが、痛みが伴わなかったため発見が遅れたのです。
一般病院から大学病院のターミナル病棟へと転院し、毎日、50キロの道のりを、母の病室へと通いました。母の楽しみのため、母の趣味であった俳句を私が代わりに一日一句作ることとなりました。母はベッドの上からその句にダメ出しをするのです。途中の道すがら、大急ぎで詠んだものなので、うまくできるものではありません。今日は忘れたかしら、と思い、何も言わないと、「今日の俳句は。」と聞くのです。
高齢のため、私は覚悟をしていました、自分ではしっかりとした娘だと思っていました。しかし、葬儀もすみ、一段落しても、なかなか、自分を元に戻せませんでした。仕事に復帰する誘いを頂いても、戻る気力が湧かないのです。人の死の大きさを家族の立場で実感しました。それまでも患者様に自分は寄り添っていると思っていましたが、医療者と、家族では感じ方がこんなにも変わるのか、と思いました。
今は、母の勧めに従い句会に入り、俳句を趣味としています。母の病気についても、年齢を考えれば、抗がん剤治療をするよりは、その期間、一緒に旅行を楽しんだので、反って良かったと今は考えることができるようになりました。


(三重県・M.Y/女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/05/9243/feed/ 0 9243
『最後の旅行』 http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/01/%e3%80%8e%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%80%8f/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/01/%e3%80%8e%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%80%8f/#respond Mon, 01 Mar 2021 02:00:10 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9168 私は、昔から、母が苦手だった。 「女は、でしゃばったらいけんよ。男を支えてなんぼのもん」と、昔気質の女性観を私に押し付け、女に学問は無用と、大学に行くのも反対された。順当に妻子持ちとなった弟二人を横目に、仕事に明け暮れ、長く独身を続ける長子で長女の私に、会えばいつも文句ばかり。私は母と相対するのが苦痛でならなかった。
そんな母に初期とはいえない癌が見つかった。父を亡くした後、「子どもの厄介にはならない」と施設暮らしを自ら選んだ矢先だった。
医者は、「あと、3ケ月もたないかもしれない」と言う。
ならば少しでも早いうちにと、私は『最後』の家族旅行を計画した。
大型のレンタカーに、私たち姉弟とその家族ら合わせて八人が乗り込み、隣県の温泉地を目指す。わいわいガヤガヤ賑やかな事、この上ない。母も嬉しそうだ。
二時間のドライブの後、無事宿についたものの、母はさすがに疲れたようで、せっかくの温泉にも
「お風呂はちょっと……」
「それなら、足湯に行こうや。あれなら疲れんし、気持ちいいよ」
「そうやねぇ」
母と二人きりは苦手。
でも、今、ここで行かなければ、この後ずっと後悔しそうな気がして、私は、半ば無理やりに母を誘った。
母の靴下を脱がせ、ズボンの裾を膝あたりまで捲る。ゴリゴリに飛び出た膝から伸びるやせ細った左右の足を、順番にゆっくりと湯に浸けてやる。「はぁ~」と気持ちよさそうに上下した胸は薄く、肩から続く二の腕、手指…肉が削げ落ちたそこここの部位に、母の命の儚さを思い知った。
「ほ~らぁ、やっぱり足湯いいやろ。気持ちいいやろ。来てよかったやろぅ」
苦手な母と二人きりの間を持たせようと、私は、しゃべり続けた。
すると、母が… 「お母さんね。学校の成績は良かったんよ。上の学校に行っとたら、手に職つけとったら、あんたたち連れてお父さんと別れることもできた」
えっ?
「そやけど、お母さん、なーんもできんけ、稼げん。だから我慢したんよ。それが普通やって思って。女なんか、所詮こんなもんやって思って」
ほっぺたを押さえながら、肩を震わせて泣いていた母を思い出した。
「でも、あんたは違う。あたしやお父さんが何と言おうが、男勝りに働いて。弟たちより、よっぽど出世しちょう。いろいろ言うたけど、あんた見て、女でもできるんやって思った」  初めて聞く母の本音。そして… 「あんたは、お母さんの自慢の娘やけ。がんばりなさいよ」
そんな言葉、今まで一度も聞いたことない。いつも、いつも、会えば文句ばかりだったのに。
涙で目が膨れる。こんな顔、見せたくない。私は、そっぽを向きながら、 「ねえ、この次はみんなでどこ行こうか?」  次の『最後の旅行』の相談を始めた。


(東京都・K.K/女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/03/01/%e3%80%8e%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%80%8f/feed/ 0 9168
祖母と母 http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/26/%e7%a5%96%e6%af%8d%e3%81%a8%e6%af%8d/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/26/%e7%a5%96%e6%af%8d%e3%81%a8%e6%af%8d/#respond Fri, 26 Feb 2021 02:00:41 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9166 大学卒業後、母の実家近くの企業に就職し、その周辺でアパートを借りて一人暮らしを始めた。母の実家には、母方祖母が一人で暮らしている。足腰も大分弱まり、ボケも始まり心配だと母から連絡があり、様子見がてら週に2日程祖母の家で夕食を一緒にとることにした。毎回同じ、母が子供だった時の苦労話を聞きながら、祖母の手料理をいただく。料理が苦手な母と違って、祖母のご飯は何を食べても美味しい。ただ、卵焼きの味だけは母と一緒で、なんだか感慨深いものがあった。今日のご飯は何だろう?それを楽しみにまた一日仕事を頑張ろう。


(福井県・M.M/女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/26/%e7%a5%96%e6%af%8d%e3%81%a8%e6%af%8d/feed/ 0 9166
自宅で死ぬということ 父編・母編 http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/22/%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e7%88%b6%e7%b7%a8%e3%83%bb%e6%af%8d%e7%b7%a8/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/22/%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e7%88%b6%e7%b7%a8%e3%83%bb%e6%af%8d%e7%b7%a8/#respond Mon, 22 Feb 2021 02:00:50 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9163 私の両親は、既に他界しています。父は八十八歳で、母は九十二歳で旅立ちました。「百歳まで生きる」というのが二人の口癖でしたから、さぞ無念だったことでしょう。今は「人生百年時代」となりましたが、戦争をくぐり抜けてきた人達だからでしょうか、「長生き」には特別の思い入れがあったようでした。  実家は信州の安曇野で、目前には険しい北アルプスがそびえ、周囲には田んぼや、麦、蕎麦畑が広がり、未だ日本の原風景が残存しています。青い空に白い雲、山また山の時間が止まったよう所です。晩年になってようやく、家の前を通る地域のコミュティーバスが日に四便往復開通しました。それ以前は、市から年間十枚程度のタクシー券が配布されましたが、市街まで行くだけでも、タクシーを呼ぶと往復五千円かかりました。親子三代で同居し一人一台の軽自動車の家々に埋もれて、私の両親のように車もバイクも持たない高齢者もいたのです。マイカーを持つ人や、都心在住の人には想像もできないでしょう。 そんな田舎で生まれ育った私は、バスや電車を待つ時間が、人生の無駄のように思え、横浜の大学に進学し、そのまま就職、結婚し、子どもたちも地元の学校に入学すると、なかなかUターンできなくなりました。夫も同郷の出身でしたので、週末帰省することが何よりの双方の親孝行でした。今まで何度、中央道を往復したのでしょう。小仏トンネルや相模湖周辺道路の渋滞は激しく、命の危険を感じた台風にも二度遭遇したことがありました。このように休日は実家の往復でしたので、家族旅行にはほとんど出かけたことがありません。両親は「無理せず来なくてもいい」とは言いませんでした。 勤続四十年で退職した今も、実家の草刈りや家のメンテナンスで、月に一度は帰省しています。ひと雨ごとに暴力的に伸びる草や、油断すると庭木もすぐに森になってしまいます。税金もダブルでかかりますし、冬期は極寒です。でも風光明媚で、夏は涼しく、畑では無農薬の野菜が採れます。体力、気力の続く限りは、実家の往復を続けようと思います。 今回の企画を機に、晩年の両親との関わりを振り返ってみたいと思います。


(東京都・H.O /女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/22/%e8%87%aa%e5%ae%85%e3%81%a7%e6%ad%bb%e3%81%ac%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8-%e7%88%b6%e7%b7%a8%e3%83%bb%e6%af%8d%e7%b7%a8/feed/ 0 9163