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家族へ – 家族をつなぐきずな倶楽部 http://kazoku-kizuna.jp Mon, 23 Jan 2023 04:03:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.25 148687284 本当に、ありがとう。 http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/08/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%8a%e3%81%8c%e3%81%a8%e3%81%86%e3%80%82/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/08/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%8a%e3%81%8c%e3%81%a8%e3%81%86%e3%80%82/#respond Mon, 08 Feb 2021 02:30:02 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=9140 祖父は、私が生まれた頃にはほぼ寝たきりだった。そして、64歳で逝った。
父は、心臓弁膜症に罹り、3度弁置換手術を受け、最後は腸閉塞になる。そして、母の誕生日の翌朝に56歳で逝った。
大叔母は、脊髄損傷で生まれ生涯両足で立つことはなかった。そして、82歳で逝った。
祖母は、高血圧症ではあったが、自己コントロールに長けていた。そして、98歳で逝った。
今も、4人の生き様・死に様をまざまざと思い出すことができる。それは、物心着く前から43歳まで私自身も介護・看護の担い手として、一つ屋根の下で老いと病を負う彼らと共にあったからだ。 満タンの尿瓶を鼻先まで掲げてトイレまで運んだ幼き日。急変した父を乗せた救急車の後を、初心者マークを付けて追走した日。どんな日も大叔母の膀胱洗浄の処置をして一日を終えた日々。オムツは嫌だと脱ぎ転んで祖母を抱えて尿まみれになったあの日。 その時は、ただ必死で、どうにかしたくて、やるしかなくて、笑うしかなかったあの出来事も、時が経てば経つほどある思いに行きつき、悔いる。それは、四人それぞれの元気だった頃に一ミリでも戻してあげられるような介護・看護をすべきだったこと。懸命に生きて来た労いを込めて、「ああ、なんか今日は昔に戻ったみたいだ!」という笑顔を浮かべさせてあげられるのは、家族だけに出来る事だから。そんなことに気づいたのは、大叔母が晩年によくこう言ったからだ。「もう少し、楽になって死にたい」と。その時は時間に追われ、その深意を解そうともしなかった。でも、自分も尿管挿入や手術を体験し、寝たきりであることが羞恥を始めとするどれほどの精神的苦痛を味わわねばならぬことかを痛感した時、この言葉の痛みに滂沱の涙が落ちた。大叔母だけでなく、祖父にも父にも祖母にも、一番の苦しみから一時でも開放する術はあったはずなのに。と。  そして、今、母が認知症前段階として老いを帯び始めている。これまでの母ではあり得なかった言動・行動に、悲しすぎて怒りさえ湧く時、大叔母の声が耳に響く。もしかしたら、母も苦しんでいるのか・・・・。そう、気持ちを変えることができる。頼りにしていた、誇りにしていた、ずっと一緒にいられると思っていた。そういう幸せが失われていく怖さに、介護する側の家族(私)はつい力んでしまうんだよ。今のうち母にそう言って泣きべそ顔を見せられたらいいのに。意地っ張りな私にはまだ出来ない。でも、大叔母のあの言葉だけは、母に言わさないよう努めると仏壇に手を合わせる。おじいちゃん。お父さん。おばちゃん。おばあちゃん。  本当に、ごめんなさい。そして、本当に、ありがとう。


(東京都・J.K/女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/02/08/%e6%9c%ac%e5%bd%93%e3%81%ab%e3%80%81%e3%81%82%e3%82%8a%e3%81%8c%e3%81%a8%e3%81%86%e3%80%82/feed/ 0 9140
【感謝と笑顔とポジティブに自分の事は自分でやる】 http://kazoku-kizuna.jp/2021/01/08/%e3%80%90%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%81%a8%e7%ac%91%e9%a1%94%e3%81%a8%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%ab%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%ae%e4%ba%8b%e3%81%af%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e3%82%84/ http://kazoku-kizuna.jp/2021/01/08/%e3%80%90%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%81%a8%e7%ac%91%e9%a1%94%e3%81%a8%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%ab%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%ae%e4%ba%8b%e3%81%af%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e3%82%84/#respond Fri, 08 Jan 2021 02:00:02 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8719 父達(舅、姑)が元気な時に、友人たちが「いくらやっても後悔ばかりだよ。」と、嘆いていました。だったら、生きている時から、親孝行しようと思いましたが、なかなか思うようにいきません。介護でも実際にその立場になると、自分の家族の事もあるし、父、母だから、こちらが甘えてしまい、すぐに口喧嘩をしてしまいます。姑、舅の方が、「ありがとうね。大変だね。」と、声をかけてくれ嬉しくなりました。4人を介護してわかったことは、〇介護している人にお金を支払うこと。〇お金を支払わなかったら、介護をすること。〇手を出さない人(介護できない人)は、口も出さないで、金を出すこと。〇両親だけでなく、夫、妻、子、を介護することもあるので、みんなで誰かが介護状態になった場合は、どうしたら良いか話し合うこと。です。 お金の事は、ヘルパーなどを雇うと思ったら、支払わなくてはいけないので、兄弟でも見てくれる人には支払うべきと思います。「親を見るのにお金をもらうのかね。」と言われて、腹が立ちましたが看たことがない人は何とでも言えると思いました。自分の家族を見ながらの実家の母たちを見るのは時間やお金は使います。私の場合は、舅をみとったり、姑と同居していたので、夫から実家に行っても文句を言われないのが助かりました。だから、自分の家庭の事もおろそかに出来ないと思い、頑張ってきました。でも、兄弟などからは、いろいろな文句も言われ危うく親戚付き合いをやめようと思ったこともありましたが、「おかぁが、頑張っていることを俺たちがわかっていればいいさ。」と、長男の一言で、『わからない奴はそのまま、誉めれなくとも自分に正直にやれば良い。』と、何でもポジュテブに考え頑張りました。
介護される側になってきた私は、【感謝と笑顔とポジティブに自分の事は自分でやる】をモットーに頑張っていこうと思っています。


(宮崎県・K.S/女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2021/01/08/%e3%80%90%e6%84%9f%e8%ac%9d%e3%81%a8%e7%ac%91%e9%a1%94%e3%81%a8%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%96%e3%81%ab%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%ae%e4%ba%8b%e3%81%af%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e3%82%84/feed/ 0 8719
あいのかぞく http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/28/%e3%81%82%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%81%9e%e3%81%8f/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/28/%e3%81%82%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%81%9e%e3%81%8f/#respond Mon, 28 Dec 2020 02:00:16 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=6521 あ 「ありがとう」と言える雰囲気の家族

い いつもどんな時でも、和やかな家族

の 望ましい のびやかな家族

か 感謝するやさしい家族

ぞ 増強する 強い体力の家族

く 苦しい時もみんなで助け合う家族


(東京都・K.i/80代・男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/28/%e3%81%82%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%81%9e%e3%81%8f/feed/ 0 6521
月毎家族誕生会 http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/21/%e6%9c%88%e6%af%8e%e5%ae%b6%e6%97%8f%e8%aa%95%e7%94%9f%e4%bc%9a/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/21/%e6%9c%88%e6%af%8e%e5%ae%b6%e6%97%8f%e8%aa%95%e7%94%9f%e4%bc%9a/#respond Mon, 21 Dec 2020 02:00:41 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8511 外食などせずに慎ましく生活してきた。
が、誕生祝いだけは必ず行った。
誕生日に関係なく、その月に誕生したが者がいれば行う月毎誕生会である。
子供三人に孫三人と夫婦の計八名なので毎月のように行われる。
家族全員が鮨を好きなので値段が安い出前専用鮨から握り鮨と偏食で納豆しか食べなかった孫娘の長女用に納豆巻きやネギトロなどの巻鮨を加え一人前よりも多い量である。
妻は義母譲りの茶碗蒸しを作った。
大小不揃いの器で同じ時間で出来る限り多く作った。
食べ盛りの子供たちが三人いたので、すぐに無くなった。
具は定番の鶏肉や蒲鉾に銀杏など季節の物が入った。
ほかには義母譲りはポテトサラダであった。
酢で〆たタマネギの感触が良かった。
リンゴが入るのも独特だろう。
六月に娘が嫁に行く。
長男の提案で食事会を計画した。
外食などせずに慎ましく生活してきたので最初で最後の晩餐でもある。
公務員で生活が安定している長男は代金を出してくれた。
脳卒中のリハビリ中で無職の私は「感謝状」を渡した。
真四角の葉書大の一筆箋の表に
「感謝状、坂本麻由
殿貴女は坂本家の長女として誕生した時から持ち前の明るさと負けず嫌いの努力で家庭を明るくしてくれました。
今、嫁ぐに当り、その貢献を表し、ここに感謝状を差し上げます。
平成十六五月吉日家族代表・父
長女が彼の家に挨拶に
行くと、パン製造、販売業の創業者の祖父さんが祖母さんに向い
「婆さん、紙とペン」と言って百万円と書いたこれで好きなところに行ってきなさい。但し、帰ったら家を継ぎなさい、と念を押された。
彼は一度パン屋に入社したが、社長の父親と諍いを起こしデザイン会社に入社した。
主賓が部長だったので、祖父さんに判った。
六月長女が嫁に行く。
娘は難産の末、男子を出産した。そして、長女は安産であったが、末子の次女は切迫流産のため、入院して出産した。
婿殿は一度、パン屋に入社したが、社長の父親と諍いを起こし、日大芸術学部グラフィックで習ったデザイン力を生かし、デザイン会社に転職した。
その後、その会社も辞め、自分で会社アメージングデザインを興した。
祖父さんの創業者精神があったのであろう。
今は好きな車でポルシェやベンツに乗り
減価償却で落としているようである。
娘は長女に妃の文字を入れ、自分のように妃に成長することを祈っている。


(東京都・S.S/60代・男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/21/%e6%9c%88%e6%af%8e%e5%ae%b6%e6%97%8f%e8%aa%95%e7%94%9f%e4%bc%9a/feed/ 0 8511
七五三 http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/18/%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/18/%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89/#respond Fri, 18 Dec 2020 02:00:09 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8510 長女の嫁ぎ先は都内・下町のパン製造・販売業である。
創業者の祖父母様、現・社長の両親と妹の多世帯大家族である。
付属高校の同級生からの付き合いで、高校・大学・社会人と長い付き合いだった。
妻の結婚年齢よりも遅れたのは、彼が趣味のバンド活動とデザイナーの夢を捨て切れずにいたからである。彼の甘さと我が侭を許したのは長女であった。
この辺が長女の強さである。
長女が正式に挨拶に行くと、「こんな娘さんが来てくれるのが望みだった。」と祖母様が涙ぐんだ、と言う。
長女は生来、元気で明るく可愛い顔立ちをしていた。親バカである。
長男に嫁の来る者いないと風説があるなかで、創業者は後継者の孫が家業を継いでくれると喜んだのだろう。
しかし、一旦、家業に就職した後に大学で専攻したデザインが活かせるデザイナーの会社に移籍した。
祖父様には内緒にしておいたが、披露宴で部長の挨拶で知ることになった。
長女が身ごもると祖父の敏爺さんは「俺は男子が良い。」と発言した。
五体満足で母子共に健康ならば良い、との風潮がある中で中々の御仁である。
無事男子を出産すると泣いて喜んだ、と言う。
子供は港と命名された。
婿の父である祖父がボートを持ち、海が好きなのでこの人間らしくない名前になったが、自分も漁港の生まれ育ちなので異儀はなかった。
敏爺さんは湊クンの最大のファンがあると公言した。
初宮は祖父母様の故郷の茨城県に縁が深いスサノウ命に因んだスサノウ神社であった。
端午の節句には兜の他に陣羽織が付いた最上級の物を敏爺さんが選んだ。
年末に病気療養中の祖母様が亡くなった。
入院中の敏爺には内緒にしておいたが、退院し、仏壇を見て事実を知った。
だが、事前に事情を話しておき、見舞いの時の様子で察していたらしく大きなショックはなく受け入れたと言う。
今、敏さんは湊クンの七五三までは何としても生きる事を希望に生きている。
今年の誕生日で満三歳になるので男子のかぞえ五歳までは残り一年である。
なんとか頑張って欲しいものである。


(東京都・S.S/60代・男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/18/%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89/feed/ 0 8510
盆帰省奈良一言神社と孫・紘一思い遣り http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/14/%e7%9b%86%e5%b8%b0%e7%9c%81%e5%a5%88%e8%89%af%e4%b8%80%e8%a8%80%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%ad%ab%e3%83%bb%e7%b4%98%e4%b8%80%e6%80%9d%e3%81%84%e9%81%a3%e3%82%8a/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/14/%e7%9b%86%e5%b8%b0%e7%9c%81%e5%a5%88%e8%89%af%e4%b8%80%e8%a8%80%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%ad%ab%e3%83%bb%e7%b4%98%e4%b8%80%e6%80%9d%e3%81%84%e9%81%a3%e3%82%8a/#respond Mon, 14 Dec 2020 02:00:58 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8509 父の十三回忌には子供心に立派と思っていた東日本大地震で崩れた
石積みの墓域を直しておきたい、と母さんが強く願い補修をして法事を行った。
来年は早くも十七回忌を迎えるが、脳卒中で自由歩行が出来ないため長男にも関わらず
母親と共に長野で一戸建てを借りて避難民生活をしている次男夫婦と故郷に残った長女と次女に任せざるを得ない。
父さんと共に二人だけで養鶏業や海産物加工業の自営業で働いた母は足腰が強いのが自慢で内蔵疾患もないため、卒寿の急坂は必ずしも楽ではなかった。勉からトイレで倒れ、救急車で運ばれたと聞いたときは心配したが骨折はなく、打ち身だろう、との診断に安心していた。原因は水分不足で気を失ってトイレに倒れたと判った。
その後、
下血して病院に運ばれたと報告があり、兄弟みなで肝を冷やした。
前よりも大きな病院で検査の結果、肋骨が骨折していた、と判明した。痛みを訴えたために痛み止めに飲んだ薬で十二指腸潰瘍を起し下血した、と判った。
流動食もたべられないので、点滴が必要になった。
が、老人は血管が狭く固いため点滴が入らない事態であった。
従来、注射は医師だけが可能であったが、老人が多い病院では注射のベテラン看護師を雇っている。
お陰で母も危機を脱した。年齢が上がると思いもよらない原因で異変が起きるようである。
楽ではなかったが元気に卒寿の急坂を乗り越えた。鍼灸治療師の勉が一緒に住んでいてくれたので、救急車を呼ぶなどの判断が適切だったのだろう。
米寿まで生き、町で一番の長生きだった実母ツメ祖母さんなど長寿の家系なので十九回忌、二十三回忌と元気に法事を迎えて欲しい、と願っております。
先祖伝来の父さんも眠る墓、せめてお盆と命日だけは墓参りをしたい気持ち良く判ります。
大津波で家を流され、次男勉夫婦と長野で避難民生活をしている母さん。若かった母さんも卒寿を過ぎて長野から福島県いわき市まで遠出は無理でも、今年のお盆には故郷の孫・紘一君が横になれる大型車で母さんを迎えに行くと志願しております。甘える時は甘えていいですよ。母さん。
また、震災で町に打撃がなければ菩提寺の真福寺の一年上の若い今の住職が希望者を募って和歌山の熊野地の高野山をお詣する予定だった、と聞いております。本来、長男の私が墓参にお連れする必要がありますが、脳卒中の後遺症があり自由歩行が出来ません。
熊野地は父さんと歩いた道なので本来は長男の私がご案内すべきでしょうね。不肖(ふしょう)の長男榮
奈良には奈良一言神社があります。
願いを一つだけ叶えてくれる神社です。
今年は母さんが盆参り出来るように書いて手紙に書いて奉納しました。
盆に入り、長女に確認すると、故郷の孫・紘一君の思いが次男・勉に届き、鍼灸治療師をしていて日頃、母さんの身体の状態を見ていて、甥に任せるよりは自分が同行するのは一番適任と思った勉が自分の車でパーキングエリアごとに休憩を取って、故郷に連れて行ったのでしたね。
江名町の父さんも眠る先祖伝来の墓と両親が眠る生家の新妻家の父祖の地上高久村のお墓、浄日寺に墓参も出来た。
今は姪だけになったが親戚筋で特に一番信頼している長兄の長女・八重子従姉を訪問できた。
更に、子供さんなどの血縁者がないために特養ホームに入った気になっていた目が悪い竹馬の友のヤッチャンも訪問し、施設で友人も見つかり、幸福そうな様子だったことも確認出来た。
父親、つまり、紘一君の祖父さんの墓の横を車で通るたびに父さんが好きだった酒の銘柄、清酒・奥の松の一升瓶を墓石にかけてくるような祖父母さんへの思いが強い孫の紘一君の優しい強い思いが一言神社に届いた、と言えます。故郷の長女の家で休養を取り、長野に戻る予定でしたが、九月一日が父さんの命日のため、命日のお詣をして、長女絹子に連れ添ってもらい、紘一君がほぼ全面的に運転をしていわきから長野に帰ったのですね。
孫・紘一君が用意しておいてくれた横になれる大型車で年末に痛めた腰に負担が掛らない状態で家族に囲まれて移動出来た。
紘一君が母さん、祖母さんに対する思いが一言神社に通じ、満願でしたね。


(東京都・S.S/60代・男性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/14/%e7%9b%86%e5%b8%b0%e7%9c%81%e5%a5%88%e8%89%af%e4%b8%80%e8%a8%80%e7%a5%9e%e7%a4%be%e3%81%a8%e5%ad%ab%e3%83%bb%e7%b4%98%e4%b8%80%e6%80%9d%e3%81%84%e9%81%a3%e3%82%8a/feed/ 0 8509
すきだよ http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/04/%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%a0%e3%82%88/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/04/%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%a0%e3%82%88/#respond Fri, 04 Dec 2020 02:00:45 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8251 い いつも元気で
す すきなおしゃべりで
き 気持ちも若く皆さんに
だ 大好きと云われニコニコと
よ よく頑張ったネ90才


(徳島県・N.S/50代・女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/12/04/%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%a0%e3%82%88/feed/ 0 8251
おじいちゃん http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/09/%e3%81%8a%e3%81%98%e3%81%84%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/09/%e3%81%8a%e3%81%98%e3%81%84%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93/#respond Mon, 09 Nov 2020 02:00:46 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8238 (ガ)我慢しないでネ
(キ)気にしないでネ
(ノ)ノロノロしないでネ
(コ)転ばないでネ
(ロ)老人らしくしないでネ


(兵庫県・Y.H/60代・女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/09/%e3%81%8a%e3%81%98%e3%81%84%e3%81%a1%e3%82%83%e3%82%93/feed/ 0 8238
だいすきなじかん http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/06/%e3%81%a0%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%98%e3%81%8b%e3%82%93/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/06/%e3%81%a0%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%98%e3%81%8b%e3%82%93/#respond Fri, 06 Nov 2020 09:24:09 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8215 もう
おなか
いっぱいだけど
ごちそうさまを
したくない
だっておいしいもん
だいすきだもん
このじかん


(大阪府・A.K/10代・女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/06/%e3%81%a0%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%98%e3%81%8b%e3%82%93/feed/ 0 8215
だいすきだよ http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/02/%e3%81%a0%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%a0%e3%82%88-8/ http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/02/%e3%81%a0%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%a0%e3%82%88-8/#respond Mon, 02 Nov 2020 02:00:04 +0000 http://kazoku-kizuna.jp/?p=8211 「だ」 黙っていても言いたい事わかるよ。
「い 」 行ってきまーす その 声に 元気をもらう。
「す」 すまいるを忘れないでね。
「き」 気持ちが落ち込んだら食べにおいで
「だ」 誰にでも同じよう接しましょう。
「よ」 世渡り上手より 感 謝を大切に


(神奈川県・N.N/70代・女性)

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http://kazoku-kizuna.jp/2020/11/02/%e3%81%a0%e3%81%84%e3%81%99%e3%81%8d%e3%81%a0%e3%82%88-8/feed/ 0 8211