それは、前半期に培ってきたものを次の世代に伝え、譲り渡していくことではないでしょうか。
昔は農業・漁業・林業でも、物づくりでも、商売の道でも、親から子へ、高齢者から若年者へと、
その仕事の知識や技術、経験や知恵が伝えられてきました。
古来、次代を担う若い人たちは、まず親や職場の先輩・上司など、前の世代の人からその経験と知恵を学び、
それを真似て、身につけることから始めてきたのです。
また、次の世代に伝えるものは、仕事や文化ばかりではありません。
わが国の歴史や郷土の先人たちの歩み、
そして、それらと分かちがたく結びついた一人ひとりの人生の歩みそのものも、
重要な要素でしょう。
伝える側・伝えられる側が互いを尊重し合い、信頼感を育みながら、
これらを大切に譲り渡していきたいものです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
]]>上の二人の娘は大学へ進学してひと安心、末っ子の輝子さんも大学へ進学するものと考えていました。
ところが輝子さんは「製菓の専門学校に行く」と、進路を一人で決めてしまったようです。
初江さんにはそれが一時の感情に思え、なんとか大学進学を勧めたいと思うのですが……。
親は、常に子供の成長を喜ぶものです。
ところが、子供の考えが親の考えと違ってくると、つい親のエゴが顔をのぞかせます。
そうしたときは、親自身も自分の心の動きをじっくりと見つめてみる必要があるでしょう。
子供が持っている「自立しようとする力」や「生きる力」をよりよく引き出していくためには、
子供が何に喜びを見いだそうとしているのかを、子供の立場になって考えていくことが大切ではないでしょうか。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
そのことを素直に受け入れられないときがあります。
ましてや誤解を受けたり濡れ衣を着せられたりして窮地に陥った場合は、
憤懣(ふんまん)やるかたない思いに駆られ、自分の正当性を強く主張するものでしょう。
もちろん相手の誤解を解いて、正しく理解してもらうための努力は必要です。
しかし、こうした場合もただ相手を責めるのでは、お互いの中に憎しみの心が育つだけではないでしょうか。
まずは“誤解を受けて非難されるのは、まだまだ日ごろの自分に人からそう思われるような不完全な部分があるからではないか”と、
みずからを振り返ってみるのです。
そしてますます謙虚に自分のやるべきことに努め、心を磨いて周囲への思いやりを尽くしていくと、
新たな道が開けてくるかもしれません。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
行政の協力を得ながらも、地域の抱えるさまざまな問題を住民一人ひとりの協力で解決していこうとするものです。
例えば、「地域の大人が学校でお話をするなど、地域ぐるみで子供の教育を見守る」
「一人暮らしのお年寄りを訪問し、食事を提供したり、話し相手になったりする」等の活動を行っている地域もあるでしょう。
それほど身構えて行うことではなくても、ほんの少しの時間と労力を他人のために役立てることで、
地域に貢献することができ、また、自分自身も喜びと満足感を得ることができます。
何より、こうした活動を通じて自分たちが安心して気持ちよく暮らせる社会、子供たちが健全に育つ地域ができていくのです。
地域のために何ができるか、それを考えて行動に移すことが、初めの一歩ではないでしょうか。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
人の苦境を見て惻(あわれ)隠(いた)む心、助けたいと思う心は、仁愛の心、慈愛の心の糸口であるという孟子の言葉です。
よちよち歩きの子供が川に落ちそうになっているのを見れば、われを忘れて駆け寄り、助けようとするものでしょう。
そのときの心は、お礼を言われたいとか、助けないと非難されるから、というものではありません。
まさに見返りを求めない心であり、慈愛の表れといってよいものです。
私たちは、誰もがこの慈愛の心を宿しています。
しかし現実には、人に優しく、親切にするよりも、自分にとって損か得かを考えて行動したり、
人を不公平に扱ったりすることが多いのではないでしょうか。
このように人の心には、よくも悪くもはたらくという二面性があります。
だからこそ、日々優しさを発揮し、慈愛の心を大きく育てていく必要があるのです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
毎日一件、「部下の賞賛すべき行為」と「その部下を褒める言葉」をカードに書き込んでいく、というものです。
実践を始めて一か月ぐらい経ったころ、Tさんは自分自身の変化に気づいたといいます。
今日は何が書けるかな、と考えるうちに、部下の美点に目を向ける習慣が身についていたのです。
そしてカードには、部下の工夫や心配りに対する感謝の言葉が添えられるようになっていました。
これを夫婦の間でも応用してみたら、何が見えてくるでしょうか ――。
日ごろ、相手がしてくれることは当たり前のように思っている行為の一つ一つに対しても、
心からの「ありがとう」という言葉をかけたくなってくるかもしれません。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
これも親孝行の一つといえますが、その気持ちを常に持ち続けることは、なかなか難しいものです。
今、社員教育の一環として「親孝行のできる社員を育てよう」という点を掲げ、
実際に「親孝行手当」を支給する企業もあるといいます。
たとえ花一輪でもプレゼントすることを通して、親に対する感謝の気持ちや、
それを実行に移す心を持った人は、 お客様や仕入先の要望などにも温かく対応できるということでしょう。
企業が顧客に満足を得てもらうには、社員一人ひとりがよりよい人間性を備えてい ることが大切です。
企業としても、あらためて親孝行の価値について認識する必要が あるのではないでしょうか。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
そのことはよく分かっていても、実際に失敗してしまうと、私たちは落ち込み、なかなか立ち上がることができなくなります。
しかし、再び失敗することを恐れてチャレンジ精神を失ってしまうのは、惜しいことです。
アメリカの発明家トーマス・エジソン(一八四七~一九三一)も、
電球の発明に至るまでには膨大な回数の失敗を重ねたということです。
しかし「気落ちしたことも、あきらめる気になったこともない」と、後に語っています。
ほかの偉人といわれる人たちも、決して順風満帆な道だけを歩いてきたわけではなく、
皆、多くの失敗や挫折を味わってきたのです。
それでも決してあきらめず、その失敗と挫折をばねにすることで、成功をもぎ取ったのでしょう。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
しかし、その考えにとらわれすぎると、自分自身を苦しめることになりかねません。
希望が叶わなかったときは、不平不満や後悔だけが残るでしょう。
心理学研究者の林道義氏は「子供に自信をつけたかったら、『好きなことを見つけなさい』ではなく、
『人の役に立つことを見つけなさい』と言うべきである。
(中略)人の役に立てば、人から喜ばれ、感謝され、好かれ、評価される。
本人も気持ちよくなり、自信も出てくる。人柄もよくなり、積極的に社会に出ていくようになる。
一生続けられる道も見つかるかもしれない」(『産経新聞』平成十七年七月四日付)と説いています。
自分に固執すれば視野は狭くなり、日々の小さな感動は失われます。
「人のため」という視点を持ってこそ、喜びの多い人生を築けるのではないでしょうか。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日
「水を与えるよりも、井戸の掘り方を教えよ」という言葉があります。
開発途上国へ援助に赴いて、渇きを訴える人たちに水を与えるだけならば、その水を飲み干した後は皆、再び渇きに苦しむことになるでしょう。
また、ポンプ付きの便利な井戸を「つくってあげた」としても、現地の人の手で管理できるものでなければ、ポンプが壊れた時点で用を成さなくなります。
だからこそ、現地の技術力に見合った井戸の掘り方や、これを維持していく方法を伝える必要があるのです。
同時に、みずからの手で物事を成し遂げることでその人自身が味わう達成感や喜びも、大切にしていきたいものです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉 366日