ゴムまりの内側から押し返してくる力を感じます。
この力は、押しつけた力とまったく正反対の方向から同じ力で押し返してくるのです。
これとよく似たことが、毎日の生活の中にはたくさんあります。
たとえば、母親が子どもに「お手伝いをしなさい」という押しつける力を加えると、
子どもは「いやだ」と、不満・反発の感情で押し返してくるのです。
これとは逆に、「力を貸してね」「ちょっと助けてね」という力を加えると、
協力や手助けという形でかえってきます。
このときの心は「自分を必要としている、認めてくれている」という満足感が作用しています。
相手の満足感を引き出すような言葉を工夫して使いたいものです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>親も不完全な人間であることに変わりはないからです。
しかし、子どもの幸せを願わない親はいません。私たちがよりよい人生を送ろうと心がけること、
これこそが親の最大の願いであり、親の祈りであるといえるでしょう。
私たちが、ひとたび父母の深い愛に目覚めることができたときには、
両親の愛の背後に大自然の大きな働きを見ることができるでしょう。
また、父母の愛と同じような温かい大きな心で、他の子どもたちや人々に接することができたとき、
そこに万物を育てる大自然の働きにも似た、大きな愛の世界が広がることでしょう。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>それは、家族は身近なだけに「照れくさい」とか「いまさら」といった気持ちが先に立つからでしょう。
しかし、思いやりの実行を身につけるには、まず家族の間で、小さなことであっても続けていくことが大切なことです。
家庭は人間関係の基本を学ぶ場所ですから、家庭生活の中で思いやりの実行を積み重ね、それが習慣になり身についた人は、
家庭を離れて一歩社会に出ても、知らず知らずのうちに周囲の人たちに感化をおよぼしていくことになるでしょう。
相手の立場に立った思いやりの実行は、周囲の人に温かな思いを与え、円満な人間関係を築いていきます。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>「人は、その心構えを変えることによって、人生を変えることができる」と言っています。
月曜日など、前日の休み疲れで仕事や出勤がおっくうになることがあります。
また、嫌だと思う人に会わなければならない日は、朝から気が重いものです。
そんなときは、「今日という日は、きっとよいことがあるに違いない」
「○○さんは、きっと私にとって大切な人に違いない」と何度も繰り返していくうちに、割と気が楽になっていくはずです。
どんな悪条件や悲しみも、それを生かしてしまおうと決意すれば、
悪条件はかえって自分を成長させる好条件になることが多いのです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>自分の親も「子であり、親になった」し、その親もしかり、また自分の子も孫も「子であり、親になる」存在です。
ですから親と子をつなぐ“心のパイプ”は、いつの時代も、過去からの無数の流れを受け、
無数の未来へとつながっていく中継点ともいえましょう。
現代に生きる私たち一人ひとりも決して例外ではありません。
現代に生かされている私たちは、まず何よりも親・祖先に感謝し、その恩に報いる心づかいと行いによって、
ともすると“利己心”によって断ち切れてしまいそうな親と子の心のパイプを通していくことが必要なのではないでしょうか。
それが子に対する親の思いやり、ということがいえるでしょう。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>「ありがとうございました」という言葉の後で、“どうぞお幸せに”と念じているそうです。
これはA子さんが幼いときから、お父さんに「どんな人にも、その人の幸せを願う気持ちで接することが、
結局は自分自身の幸せにつながる」と教えられてきたからです。
心づかいは目に見えるものではありませんし、その実行の結果も、多くの場合、すぐに表れてはこないでしょう。
しかし、温かく慈しみのある心づかいは、やがて春の陽のように穏やかに、人々の心に浸み込んでいくのです。
そのためには、家庭や職場で、まず自分から温かい心づかいを実行していくことが、
幸せへの第一歩を踏み出すことになるのではないでしょうか。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>その子なりに、というのは、本来、性格的に活発な子どももいれば、
静かでおとなしい子、のんびり、おっとりした子もいるということです。
静かな子、のんびりした子は、性格的なものであって、やる気がある、ないには関係ありません。
ただ、外から見て、やる気が目立ちにくいということにすぎません。
静かな子やのんびりした子を、「やる気のない子」「グズでダメな子」と否定的に見る見方を改めたいものです。
「本来、どの子もやる気を持っている」ことを信じて、一人ひとりの性格・個性までを思いやり、
受け入れる態度を持つことが肝要なのではないでしょうか。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>これは、趣味や共通の話題を交わしているうちに、世代を超えて人間として付き合うようになるからでしょう。
年配で、年の若い友だちを持っている人たちは、 自分のほうから心を開いて、若い人に歩み寄っています。
一般に年配の人は、みずからが若者に対して大きな壁を作っていることが少なくありません。
すなわち、過去の自分の体験や思考だけを基準にし、若者を判断しているからです。
若者に尊敬される人―それは柔軟な思考を持ち、絶えず学ぶ姿勢を忘れずに、自分を高める努力を続ける人なのです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>そのためには、まず任せる側が相手の長所を見抜いて、相手を信頼するべきでしょう。
そうすれば任される側もその信頼と期待にこたえ、相手に安心してもらえるよう努力しようという気持ちが引き出されてくるのです。
同じように仕事を任されたとしても、任す側が任せる相手を信頼しているのとしていないのとでは、結果において大きな差が生じてしまいます。
なぜならば、表面ではいかにも相手を信頼しているかのように見せかけて、実は腹の中では少しも信頼していないという場合、相手の人には間違いなく、すぐに分かるからです。
信頼が信頼を生むのです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
]]>「夫婦は、二人乗りの自転車に乗っているようなものだ。どちらかが漕がなければ自転車は倒れる。
主に男がしっかり漕ぐのが常道とされているが、これがまた時々よそ見をして、妻の望まぬところへ眼がゆき、
ハンドルが曲がるのだが、それでも二人で懸命に漕いでゆくのが人生だろう。
“長いようで短いものが夫婦かな”である」。
悠久の過去、悠久の未来を考えれば、人の一生は閃光のようなもの。
夫と妻の生活も五十年や六十年という、ほんのわずかな時間です。
しかも、広大無辺な宇宙の一点で縁あって出会った夫、そして妻なのですから、
互いに思いやりを持ち、短所を補い合いながら、日々よりよい夫婦になっていきたいものです。
出典:ニューモラル 心を育てる言葉一日一話
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