「母心」


「食べて。お母さんはいいから。 夕飯の食事介助をする私に母が言う。母がお世話になっている介護施設の食堂で。

 

だから、私は、登の口元まで運んだスプーンを自分の口に近付け、食べる振りをしながら返事をする。

「私はもうたくさんいただいたから、今度はお母さんが食べて。 」と。

 

だが、私はお腹いっぱいだから大丈夫だと何度伝えても、私の夫に介助を代わってもらって、母は頑なに食事を摂ろうせず、私や夫に食べるようにすすめるばかりだった。

 

「長く難病を患い、認知症の症状も進んでいた母は、この日、食堂に入ってきた私を見て ほぼ三年ぶりに娘である私を認識し、「あら。」と大な声を出して微笑み、目を潤ませた。

そして、 自分よりも先に、娘夫婦にご飯を食ベさせてあげたいと、私達を気遣ってくれたのだろう。

そんな母の気持ちを考えると、私の目にも涙が浮かんできた。

 

令和という新しい時代が来る直前に、容体が変化し、逝ってしまった母を想うと哀しみは癒えないし、もっと喜ばせてあげたかったのに何もできなかったという自分自身に対する無力感も消えることはない。

 

だが、もう二度とないと思っていた、母が私を思い出して笑顔を見せてくれた奇跡のような幸せな時間は、今を生きる私の大きな心の支えとなっている。

 

ありがとう、お母さん。

 


(静岡県・M.I/女性)