妻を介護して


結婚して35年過ぎた頃、妻の歩き方に異変が。杖ついて歩くようになっていた。「歳をとったな、困ったもんだ」軽く考えていた。やがて、わずかな距離も途中しゃがみ込むようになった。

そんなある日、今度は私の体に変化が。コップを持てず、手からすべり落ちたら、朝目が覚めると声が出ない。寒気がする。姉から「大事をとって救急車を呼んで、すぐ病院へ行きなさい。」大病したことのない私は、大丈夫だろうと思っていたのだが、そのまま入院となった。脳梗塞を発症した。言語障害、右手右足のしびれ。退院後。仕事を続けられず廃業して、自宅も処分して、東希望ヶ丘に転居した。

後遺症もだいぶ良くなり、日常生活にさほど不便を感じなくなった頃、妻が目に見えて体力の衰えが目立ち始めた。体調が悪いと、食事の支度も洗い物も洗濯もしなくなり、イライラのしどうしの毎日となった。親に相談したところ、すぐに地区センターへ行き、ケアプラザで至急ケアマネージャーさんに相談しなさいとの事。早速専任のケアマネージャーをつけてくれました。ケアマネージャーのTさんは、「ご主人は1人で悩まず、私に何でも相談してくださいね」その一言で、妻の病気と私の病気で疲れきっていた気持ちが救われました。Tケアマネージャーさんは、てきぱきとやらなければならないことを指示してくれました。介護の認定を取ること。家に介護設備を整えること。リハビリサービスを受けること。電動ベッド手すりの設置。車いすの用意をしましたが、妻の体力の衰えは待ってくれません。玄関で杖を置いて、顔から前へ倒れ、救急車で運ばれました。右肩の骨折です。

それから1ヵ月後、トイレで倒れ両足の捻挫1ヶ月の入院生活になりました。姉から「自分も具合が悪いのだから、ケアマネジャーさんとよく相談して施設の入所を」勧められました。妻が入院していた1ヵ月。それは苦しい切ない毎日でした。これからは、妻は施設での暮らし。私はこの部屋でずっと一人暮らし。そんな生活が頭をよぎる。「ああ、これからずっと1人で生きていかなければならないのか」そう思うと、寂しさと虚しさで心が真っ暗になった。

妻の介護の日々がよみがえる。寝ている私を気遣ってトイレに1人で行って倒れてしまったこと。私が用事で出かけたの日、「何かあったらすぐ電話して」と言ったのに、ベッドも布団も下着までビシャビシャになって私の帰りを待っていた事。私の作った料理を「おいしいおいしい」と食べてくれる妻。こうした生活が終わってしまうのか。

それから2ヶ月でケアマネージャーさんのアドバイスで、介護認定も下り、緊急ヘルパーさん要請の手続きをして、介護の体制も整いました。これでほっと一息です。現在妻は訪問リハビリサービスを受け、週2回の入浴付きデイサービスを楽しみに通っています。「良かった1人じゃない。2人で暮らせる」

世間では子育ても終わり、熟年離婚する人、夫の介護が大変で離婚する人もいます。妻と2人で見るテレビ。車いすでの散歩。きれいな花を見つけて嬉しそうな妻。おいしいおいしいと言って食べてくれる妻。1人では生活は寂しすぎます。

ラジオで奥様は医師に余命数ヶ月を宣告され、生きる気力を失い、食事を口にしなくなった。その奥様に、主人は「君が1日でも長く生きてくれることが私の生きがいなんだ。」それを聞いて、奥様は「そうだ、私には主人に教えなければならないことが山ほどある。ご飯の炊き方、料理の作り方、洗濯物のたたみ方などなど。命のある限り伝えよう」と。それから1日1日精一杯生きたと言う話を聞きました。私も体力の続く限り、妻の面倒を見たいと思います。


(神奈川県・T.S/男性)