ヘルパーおばちゃん物語
『おはようございます。お疲れ様です。』とある小さな街の認知症対応型グループホームに勤務しているおばちゃんです。この施設にスタッフとして入って三年目。ホームの中身も分かりはじめ、入所者の対応に追われている毎日。3年もいると、入所者の1人1人の個性も分かりだし、対応もわりとスムーズに取れるようになりました。しかし、日々、認知症の症状というのは進んでいくので、ついさっき出来た事が出来ないことは日常茶飯事、ついつい、『さっき言ったでしょ』と口に出してしまいそうになることをこらえる毎日です。感情をあまり表に出ない私は淡々と仕事が進んでいきます。でも利用者さんの”ニコッ”と笑ってくれる時の顔は、まさに”天使”と言ってもおかしくないくらい。赤ちゃんのような屈託のない笑顔が私達スタッフの一瞬のオアシスです。
ある入居者さん、Tさん。足の悪いおばあさんで普段は歩行器で歩いている96歳の方。しかし、先月、大腿骨を骨折して現在、車椅子の生活です。年の割には認知症度は軽く自走で車椅子を押し、トイレなども行きます。確かに認知症はあるものの、若い時から裁縫の仕事をしていたということで、縫い物はベテラン。自分のできる機能を落とさないようにと時々、雑巾など縫い物をしてもらっています。そんなある時、その方の入浴介助担当になった私。九十六歳なのですが、自分で脱ぎ着できる方で自分でやってもらい、チェアイスに座る動作の時は手助けします。手を差し出した時、『ありがとう。ありがとう。あんた1番、好きやわ。風邪ひかれんな。』と言ってきたのです。介助のためTシャツが濡れている私の姿を見て気にして発した言葉だったのです。『こちらこそありがとう。手を持つから気をつけて歩いてね。』と、機械浴のチェアに座ってもらいました。シャンプー、体洗いと一連の作業を終わって湯船に浸かっている時、『なんて楽なが〜(なの)極楽や〜』と言いながら浸かっていました。つい、認知症があると分かると下に下に見がちになるのに私は、とても快い介助ができました。と同時に『こちらこそありがとう。お手伝いさせていただいて…』という思いに自然になりました。お風呂上がりに『気持ちよかったわー』と喜ばれている姿を見て、この仕事について良かったなぁと改めて思いました。この間は、時間が空いていたので計算ドリルをやってもらいました。計算ドリルと言っても、小学一年生程度の簡単な足し算・引き算です。プリントを渡すと、すぐ答えを書き始めました。時間が経つと、ちょっと頭を抱えて悩んでいましたが全問正解でした。九十六歳でもしっかりしているなぁと感心した私でした。
こんな利用者さんもいます。このおばあちゃんは、”女の人”から”女性”に変わる人です。つまりは、自分は”おばあさん”ではなく”女性”だと思って変わることです。そのおばあちゃんHさん。八十二歳で脳梗塞後遺症のため左手が麻痺して不自由です。このHさん、塗り絵が大好きで、毎日毎日、一日中塗り絵を塗っています。Hさんの身内の方が画家のためか、Hさんも塗り絵を塗る時は、配色を上手に変えてきれいになっています。まさに芸術家というようなきれいな塗り絵で私達スタッフも驚くくらいです。しかし、このHさん。”取られ妄想”の激しい方。”ブラシ取られた””大好きな塗り絵がなくなっている””私のいない時に部屋に誰かが入って取って行った”など2~3日に1回は言うのです。”取られた”というので、スタッフも一緒になって探すと、タンスの片隅に布に包んであったり、紙を折って下着の間に挟んであったりするのです。自分でどこに入れたのか、すぐ忘れ確認せず、取られ妄想になるのです。毎回同じことを言うので慢性化してしまいスタッフも困っています。片付け好きなHさんあまりにも綺麗にしすぎてどこに入れたか自分も覚えていない状態。自分で探しても出てこないと、かんしゃくを起こし、『もういや。ここ、でていきます。』と言って身支度をして外に出ようとします。自分が認知症だと分かっていないだけに私達スタッフは傾聴してあげて落ち着かせるのが精一杯です。トイレットペーパーのなくなりが早いので不思議に思っていると、丸めたトイレットペーパーがHさんのタンスの片隅から多量に出てくるのです。自分でとってくるHさん自身も、『誰が持ってくるの?私、いやになった…』と言ってくるのです。自分で持ってきた意識がないのです。とにかく傾聴して落ち着かせることしかできません。この状態を身内である娘さんにも面会に来た時、お話ししました。しかし、自分の親の認知症がどれぐらい進んでいるのかわからないので逆に『スタッフさんが撮っているんでしょ』なんて言われたりして、認知症の知識不足でクレーム言われたりします。一番困るのがおばあちゃんが”女性”になることです。もちろんおばあちゃんは”女”。しかし、色気が出て”女性”となるのです。数少ない男性入居者がいます。お話が大好きなHさん。大勢入居者さんAさんと話が合い、たまたま東京出身者だったこともあり話が盛り上がっていました。お年寄りの会話ではなく、”女”と”男”の会話にだんだんなっていくのです。どうもHさんが誘惑しているようです。何歳になっても『女』は『女』、『女性』になるのですね。時には、Hさんの居室に男性入居者Aさんが入っていって戸閉めることがあるのです。それ以上、度が過ぎると少しマズイ状態になる可能性があるのでスタッフが注意して止めます。入居者同士の恋愛も度が過ぎると、やはり困るものですね。
そんな折、先日、若年性アルツハイマー認知症の方が入居されました。年は五十四歳のOさん、女性。実は私と同じ年。糖尿病の疾患を持っていたのですが服薬拒否して飲まなかった時期が長く続いたため悪化して認知症になったと聞かされました。母親と同居していたらしいのですが、急病で家で死亡していたのがわからず一緒に何日も生活していたとか。そのOさん、毎日フロアを行ったり来たりずっと一日中往復して歩いています。この徘徊は彼女のサイクルの一つなのです。”椅子に座ろう”とか、”トイレに行こう”とか、ジェスチャーで指示を出せば少しはわかるのですが、半分以上は理解しておらず、トイレ介助では便座に座るように言っても本人には伝わらず、座ってもらえません。紙パンツが濡れていて交換の時は、『何するの!』と大声を上げ、時々手を挙げてきます。しかし、私達スタッフは必死でパンツ交換します。徘徊中、『バカ、ボケ』とブツブツ言いながら不穏になり怒っている時があります。本人の意思ではなく認知症のなせるものだと思います。しかし、機嫌のいい時は、本人からニコニコとハグしてくるのです。本人の感情の変化が激しいので対応がとても難しい方です。自分と同じ年ということもあって何か複雑な気持ちになります。『私ももしかしたらこうなるのかなぁ?』と思うと利用者さんとはいえ対応に感情が出そうになります。でも、そこはスタッフの一員として接しています。
介護には時々ヒヤッとする出来事があります。入居して間もないTおじいちゃん。家に帰ろうとしたのか、外に出たかったのか、玄関先まで行って、危うく外に出ていきそうになりました。慌ててスタッフが気付き止めました。ホームの駐車場は少し広く取ってあるので、しばらくは歩くものの、その先には道路で車の往来が激しい道があります。一年ほど前にも別のおじいちゃんが、抜け出し道路を歩いていたのを保護したことがあります。出入り口を鍵をかけておけばいいと思っていましたが、それは”拘束”にあたるらしく鍵かけはできなくなりました。スタッフの不注意ではあるもののヒヤッとした場面でした。
色んな認知症の方々のお世話をしていますが、高齢者を扱っている場なので『死』と直面することを体験することがありました。グループホームで体調を崩した利用者さんは病院に入院したりします。入院先で亡くなったと聞き、三年間で五名の方が残念ながら生涯を閉じました。人生の大先輩の方々が生涯を終える。人間である以上避けては通れないことですが、とても悲しいことです。その五名のうち、一名の方がホームの近くの家の方だったため、死後、自宅へ訪問しました。横になって寝かされ、顔には白い布を被されていました。私は実際、このような場面に立ち会ったことがなかったので、悲しさプラス不思議な感覚でした。私がよく不穏なその利用者さんを根気強く傾聴して気に留めていたおじいさんだっただけに、”生”と”死”を改めて考え直した瞬間でした。
また、私にとっては悩みの種となった出来事がありました。認知症五、車椅子使用、意思伝達ほとんど不可な八十八歳のYおばあちゃん。普段は車椅子に乗って自力歩行不能、紙おむつ使用。いつもの口癖『ウイーアーウィーアー(しんどいわー、しんどいわー)』ということ。どこか痛い理由ではありませんが彼女の口癖なのです。身長は低いけど体重があるので移動に時間がかかります。排泄介助時など車椅子からベッド、またはベッドから車椅子への移動回数をこなせば普通のことかもしれないが数人のスタッフは腰をやられている人がいます。体がくの字に曲がっていて付近の強い方で排泄介助は難航し、いつも汗かき状態です。排尿の時はまだいいのですが大変なのは排便の時。排便多量、しかも泥状便の時にたまたま担当となった私。Yさん本人の意思と関係なく、手が排便の方に伸びていったのです。そして便を掴み出しました。私その時、思わずYさんの手を”ペシッ”と叩いてしまったのです。”触ったらダメだよ”という思いでつい手が出ました。利用者さんの手を叩いたことイコール虐待と捉えてしまった私。叩いてしまってからハッと気付き、『私なんてことをしてしまったんだろう。虐待してしまった。』と落ち込んでしまったのです。心の中で”ごめんね”という気持ちはあったものの、排便の処理をするのに頭がいっぱいで心の余裕などありませんでした。やっと処理を終え、Yさんの手を見ても青アザなど見られず、”ごめんなさい”と自分の心の中で無かったことにしてしまいました。そんなことがあってから半月後、再び同じことをやってしまったのです。今度は前回と違うIさん。Iさんは自分で立つことができるので、トイレまで介助して紙パンツを脱がせると、多量の排便でパンツいっぱい、泥状便が付いていました。『手すりバーに掴まっていてね』と伝えたものの本人は、その理由がわからず、自分の便を手で触ったのです。私はまた前回のように『ダメでしょ』と”ぺちん”と手を叩いてしまいました。”あー、またやった”と私の心はもうズタズタ。『叩いてしまった。虐待してしまった。しかも2回も…』私は落ち込みました。しかし便処理はきちんとしなければならず、きれいにしてから『ごめんね』とIさんに伝えました。しかしIさん自身は何をされたのか理解していなかったのでじっとしていました。罪悪感の中で私の心の中はつらく、”利用者さんに手を挙げるイコール虐待”ということが頭から離れず、他の利用者さんを見ていても”いつかまたするんじゃないか”と怖くて怖くて、不安で不安でつらくて、そのうち動悸がしてきて息が苦しくなってお世話どころではなくなりました。夜眠ることもできなくなったのです。自分のメンタルは、そんなに弱くないと思って生活してきたのですが、今回の場合は悩みました。『私って介護には向いていないのじゃないかな』と真剣に考えました。あまりの辛さに病院へ行って悩みを聞いてもらいました。『不安神経症』と診断され、不安剤と眠剤をもらって帰ってきました。結局、苦しいので管理者の方に相談しました。『私、実は利用者さんに手をかけてしまいました。』と…。しかし、返ってきた言葉は、『そういうことは、スタッフ誰でもやっていることよ。そういうのは虐待って言わないよ。手をひねったとか、ハンマーで叩いたとか、青あざを作ったとかそういうのを虐待というのよ。あなたは、優しいからちょっとの”ペチン”も大きく捉えたんだよ。例えば、便の介助で一人では無理と思ったら、一度パンツを閉じて他のスタッフを呼びなさい。二人介助だと何とかなるから…自分一人で処理しようとしないで。叩いてはいいわけないよ。でもね、誰か助けてくれるから…』それを聞いて私はほっとしました。他のスタッフも虐待なんて思ってないからと伝えてくれました。二週間ほどの自宅休養をとって仕事復帰しました。一つ一つ勉強だなと思った事件でした。
いろんな事が起きるけど、楽しい毎日です。引き続き、利用者さんとのコミュニケーションを楽しんでいきたいと思います。
(富山県・K.T/女性)